エンディングノートの書き方ノート~5.1.終末医療の意思表示(1)

終末医療の意思表示(1)

エンディングノートの書き方ノート|コトダマの里
5.1.終末医療の意思表示(1)
このシリーズではエンディングノート(終活ノート)を書くときに役立つ情報をまとめてご紹介していきます。5.1では延命治療と尊厳死について取り上げます。

 コトダマの里のAzuです。

 「自分がどのように死んでいきたいのか」、死と対峙するする、終末医療について書くパートはエンディングノートのなかでももっとも重くて肝要なパートではないでしょうか。

 終末期の定義はありませんが、一般的に終末期とは「病気が治る可能性がなく、数週間~半年程度で死を迎えるだろうと予想される時期 (ナースpedia看護用語辞典より)」と考えられているようです。

延命治療

 延命治療とは、一般的には、終末期の回復が見込めない状態で、人工呼吸や輸血などによって生き長らえさせることを、指します。

 いたずらに死期をのばしたくない。たくさんの機械やチューブにつながれて延命することに対する強い抵抗感。死にゆく病気で回復の見込みもない状況で、延命治療を受けることは「お金のムダ」であるという現実的な考えもあります。事実、延命治療には保険が適用にならず高額なものもあります。

 特に、「胃ろう」に対しては否定的な意見も多いようです。胃ろうとは、病気や老化などで、口からものが食べられない人のおなかに胃に小さな穴を開けて、胃に直接、栄養を送り込みます。胃ろうの利用がリハビリなどの回復目的ではなく、延命治療の生命維持目的の場合は、過剰な延命措置と捉える考えもあります。

 一方で、延命治療で「奇跡的」に助かった人も実際にいると聞きます。この場合は、延命治療はまさに「救命治療」だったことを意味していますが、医療の現場では、終末期においては、どこまでが救命治療で、どこからが延命治療か、という線引きは難しいことも多いようです。

 それならば機器をつけて、助かるかどうか、様子見れば良いじゃないかと、思われるかもしれません。ところが然うは問屋が卸さないのです。人工呼吸器など生命維持装置は一旦つけると、今度は法律的に外すことが難しくなってしまうのです。もし外した場合は「安楽死」としてお医者さんや病院に対して殺人罪が問われる可能性もあるのです。

 医療情報サイトケアネットは、お医者さん自身が自分の延命治療についてどう思っているのかを、調べました。結果、「自分の延命治療は控えてほしい」とする意見は7割を超えていました。また『死を家族が受け容れられるかどうかにかかっているから』、『死は自分の問題ではなく、生者にとっての問題だから』という意見から、延命治療は「家族の判断に任せたい」との回答が2割ありました。

 延命治療の判断は、家族にとっては苦渋の決断です。機械やチューブを付けて延命治療をするのか、そのままそっと見送るのか。いずれの決断においても、その後家族が罪悪感に苛まれることも多いと聞きます。

 最終判断は家族が下すとしても、事前に本人の意思を承知していれば、ずいぶん家族は救われるのではないでしょうか。また本人の意思表示があったとしても、家族が拒否する場合もあるようです。「回復の見込みがなくてもできる限りの措置をしてほしい」のか、「回復の見込みがなければ延命の措置はしなくてよい」のか、「苦痛を和らげる措置だけはしてほしい」など、延命治療について元気なうちに、家族ときちんと話し合っておくことが大切のようです。

延命治療をどう考えるか

図表作成:コトダマの里

尊厳死

 延命治療を望まないことは、尊厳死を選択するという意味になると思います。日本では尊厳死は認められていますが、安楽死は認められていないのですが、いったい尊厳死と安楽死の違いは何でしょうか。

 日本尊厳死協会のサイトでは『尊厳死』は次のように定義されています。

尊厳死とは『傷病により「不治かつ末期」になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです』。


 そして、『安楽死』は次のように定義されています。

 安楽死とは『助かる見込みがないのに、耐え難い苦痛から逃れることもできない患者の自発的要請にこたえて、医師が積極的な医療行為で患者を早く死なせることです。』


 安楽死も尊厳死も、苦しみながら長く生きるよりも、安らかに逝けるようにするという点では共通しますが、その関与の積極性に違いありそうです。安楽死は、薬の投与など積極的な手段により死を早くもたらします。一方、尊厳死は延命治療を控えた結果として迎える死であることから消極的と言えます。

リヴィングウィル(事前指定書)

 リヴィングウィルは「Living Will=生前意志」は、終末期医療に関する意思をあらかじめ書面に記しておきます。そして、終末期になったとき、その書面に従って治療が行われます。このような事前指定書の考え方に7割の人が賛成していると厚生労働省の調査で報告されています。なお事前指定書も、リヴィングウィルと同じです。

 リヴィングウィルを書くのに、書式の決まりはありません。自分で自由に書くことができますが、公開されているもあります。自作するときのお手本にできます。そのうちの一つレット・ミー・ディサイド研究会の事前指定書は次のサイトで見ることが出来ます。なお名称の「レット・ミー・ディサイド(let me decide)」は「自分で決める自分の医療」」という意味だそうです。

 リヴィング・ウィルで最も有名なものは日本尊厳死協会「尊厳死の宣言書」ではないでしょうか。日本尊厳死協会は会員組織です。料金は発生しますが、意志通り尊厳死が執り行われるよう、宣言書を登録し、保管・証明してサポートしてくれます。

尊厳死の宣言書( リヴィングウィル Living Will )

  1. 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。
  2. ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行ってください。
  3. 私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取りやめてください。
  4. 以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
  5.  年  月  日
  6.  自著


 先ほど、事前指定書とリヴィングウィルは同じだと述べましたが、事前指定書は「治療の事前指定書」で終末期の医療に限ったものではないとも言えます。重症の病気やけがなどにより意識がなくなり、自分で治療に関する意思決定ができなくなったときに備えて、意思決定ができるうちに自分が希望する治療方法などを,文書で指定しておく方法なのです。

 日本の医療現場では、 本人の意志がわからなければ、医師の判断と家族の同意のもと、時によっては 受けたくない医療が行われます。 そのような事態を防ぐために、用意している病院も多いようです。名称も「事前指定書」、「事前指示書」、「事前の意思表示書」などと、さまざまです。次のものは、国立長寿医療研究センターの事前指示書です。「心臓マッサージ」、「人工呼吸器」、「胃ろう」をどうするかなど、終末期についての意思を、具体的な項目で確認しています。

国立長寿医療研究センター「事前指示書」

国立長寿医療研究センター「事前指示書」

 繰り返しなりますが、いくらリヴィングウィルがあっても、いざそのときに家族が延命措置の停止に反対した場合は、お医者さんはそれを無視できません。履行の確実性を高めるには、事前に、家族の了解を得ておくことがポイントです。

 なお、自作する場合は、延命治療だけではなく、重篤な病気になったときに備えて、「病名は告知してほしいか」「余命は告知してほしいか」などについても書いておくと良さそうですね。

尊厳死尊厳死・安楽死の議論

 尊厳死、安楽死の問題は、倫理や死生観にかかわるだけに非常に難しい問題で、世界各国で議論されています。

 日本は厚生労働省がまとめた終末期医療についての指針がありますが、これまで法制化はされていませんでした。しかし近頃その動きが活発になってきているようです。

 安倍総理が「最期 は尊厳を持って人生を終わりたいということが実現するよう、医者の側も安心して対応できるような仕組みを考えていきたい」と述べたこともあり、超党派の議員でつくる「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、延命措置を望まない場合、医師が人工呼吸器を取り外すなど延命措置を中止しても法的責任を問わない「尊厳死法案」を、今の通常国会に議員立法で提出する方針のようです。

 もちろん反対意見もでています。難病患者や障害者の団体からは「生きることへの否定につながりかねない」を反対を示しています。「どんな障害があっても、生きる」ことが第一のモットーです。尊厳死の法制化が、機器をつけながら生きている人たちへの否定や差別につながりかねないと危惧しています。また、そもそも人の死に国家が関わるべきではないと言った意見も聞かれます。

 2014年2月、ベルギーで子どもにも安楽死を認める法律が成立しました。12歳以上に対してはこれまでもオランダで12歳以上は認めらてれいましたが、今回のベルギーの法律では世界で始めて年齢制限をなくしました。子どもが死の意味を理解しているのかという問題もありますが、今回の法制化は死を選ぶのも個人の権利だという考えが優先されたようです。たしかに苦しむ我が子を目の前にして、安らかに逝かしてあげたいと思う気持ちも分かる一方で、本当のところ子どもの気持ちはどうなのだろう、と考えさせられます。

photo credit: Charlie V. Antonio via GATAG

photo credit: Charlie V. Antonio via GATAG

 さて今回はいかがでしたでしょうか、尊厳死の問題はその人の死生観が反映されるので、その考えもそれぞれです。今回の最後に、筑波大学名誉教授・土本武司氏の「日本で安楽死論議が進まぬ理由」からの抜粋で終わりたいと思います。次回は、臓器移植、最期を迎える場所についてお話します。

≪自身が自分流で選択する≫

 安楽死の原点は、死にもまさる激痛の除去という点にあった。そうだとすれば、苦痛を除去するのではなく 苦痛を負っている者を排除するのは矛盾である。しかし、すべての末期患者が鎮痛医療の恩恵に浴しているとはいえない。特に、がんの末期患者のように間歇 (かんけつ)的な激痛にさいなまれる患者はその時々の激痛は除去しえても、繰り返し襲ってくる“全体としての苦痛”をあらかじめ除去することはできない。 患者はなぜこのような苦痛のフルコースを経た後でなければ死んではいけないのか。

 生命の意義は「長さ」にあるのでなく、「質」(quality of life)にあるとの認識に立ち、その「質」も、他人が客観的に利益衡量して決定すべきものではなく、本人の自己決定(self-determination)に本質が据えられるべきである。 自己決定権が重要であるということは、良き選択が保障されるからではなく、第三者の目からは、ばかげていても、本人自身が自分流のやり方で選択することが保障されるからである。

 

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