「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市(宇陀市HP)

「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市(宇陀市HP)

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ
(東野炎 立所見而 反見為者 月西渡)

柿本人麻呂(万葉集1・48)

 
 以前ふれたように、この歌は「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題された長歌・短歌4首の組み歌、いわゆる「安騎野遊猟歌」(万葉集1・45~49)の中の一つである。安騎野は現在の奈良県宇陀市旧大宇陀町一帯の小さな盆地で、古くから狩猟地として知られる(ちなみに精霊信仰の古代社会では狩猟は神聖な営みでもあった)。

 軽皇子は、天武天皇と持統皇后(天皇)の間に生まれた皇太子草壁皇子の子である。父の草壁皇子は皇位に就く前に若くして亡くなったので、軽皇子は早くから後継として期待されていた。この安騎野遊猟歌は、軽皇子が父の死の3年後10歳のときに安騎野に狩りに出かけたときのものであるが、安騎野は亡き草壁皇子も狩猟に訪れた追憶の地でもある。同行した人麻呂はこのことをよく理解し、持統天皇の意を体してこの歌を作ったと考えられている。

 ところでこの歌は、古来、万葉集随一の名歌と称えられ、それゆえ歌の解釈や解説も一二を争うほど膨大にある。わたしは、そのこと自体が優れた芸術作品の証しだと思う。独創的な作品は独創的な解釈を生み出す。独創的な解釈は、解釈という名の新たな芸術作品である。

 例えば、「炎」を「かぎろひ」と訓(よ)む歌は、賀茂真淵の「作品」と呼んでも良いのではないだろうか。実際、江戸時代までは「けぶり」と訓まれていて、その方が自然だという説もある。ただ真淵以降「かぎろひ」が多くの支持を得ているのは、その方が歌として「美しい」と思う人が多いからだろう。ということは、やはりそれは真淵の芸術作品ということでもある。

 それはともかく、ここではこの歌がなぜ「芸術」として優れているかについてわたしなりに考えてみたい。

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言霊とは何か(7)~“挽歌詩人”柿本人麻呂:魂を扱う術

photo credit: williamcho via photopin cc

日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首併せて短歌

天地(あめつち)の 初めの時 ひさかたの 天の河原(あまのかはら)に
八百万(やほよろづ) 千万(ちよろず)神の 神集(かむつど)ひ 集ひ座(いま)して
神分(かむはか)り 分りし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)の命(みこと)
天(あめ)をば 知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国を
天地の 寄り合ひの極 知らしめす 神の命と
天雲の 八重かき別(わ)けて 神下(かむくだ)し 座(いま)せまつりし
高照(たかて)らす 日の皇子(みこ)は 飛鳥の 清御(きよみ)の宮に
神(かむ)ながら 太敷きまして 天皇(すめろき)の 敷きます国と
天の原 石門(いはと)を開き 神上(かむのぼ)り 上り座(いま)しぬ
吾が王(おほきみ) 皇子の命の 天(あめ)の下 知らしめしせば
春花の 貴からむと 望月の 満(たた)はしけむと
天の下 四方(よも)の人の 大船の 思ひ頼みて
天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか
由縁(つれ)もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座(いま)し
御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言問(みことと)はさず
日月 数多(まね)くなりぬる そこ故(ゆえ)に 皇子の宮人(みやひと) 行方知らずも

反歌二首
ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
あかねさす 日は照らせれど ぬば玉の 夜渡る月の 隠らく惜しも

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東の野に炎の立つ見えて

東の野に炎の立つ見えて(NipponArchives

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ 柿本人麻呂(万葉集1・48)


 この歌は、「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題されたいわゆる「安騎野遊猟歌」(万葉集1・45~49)の中の一つである。人麻呂の代表作の一つで、高岡市万葉歴史館(前)館長の小野寛氏によれば「近世から現代に至る多くの万葉集秀歌選の集計をしたところ、人麻呂の歌で最も多く選ばれている」(*1)ものだそうである。

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石見の荒磯と山の歌

石見の荒磯と山の歌
(出典:西日本万葉の旅(JR西日本)

 「言霊と和歌のつながり」を解き明かすための伏線として、前回は「ライトノベル」を引き合いに出した。今回はもう一本の伏線として、先日の記事でAzuさんが取り上げた「ミュージカル」を引き合いに出したい。(伏線ばかりにならないように気をつけたいが。)

 Azuさんは「感情表現のアート」という点では歌舞伎もミュージカルも同じだと述べている。これは正しいと思うが、ただそもそも芸術一般が多かれ少なかれ「感情表現のアート」である。また、「エモーショナルでドラマティックな感情表現」がミュージカルに固有の特徴なわけでもない。

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