刀剣乱舞

刀剣乱舞(DMM.com

刀剣をイケメン男子に擬人化「刀剣乱舞」がオタク女の心をつかむ4つの理由

 一口に「オタク女」といっても、中にはたくさんの派閥がある。

 男性キャラどうしの恋愛を好む「腐女子」、男性キャラと女性キャラの恋愛を好む「男女カプ者」、男性キャラと自分の恋愛を好む「ドリーム」。「男女カプ者」と「ドリーム」の中間には「乙女ゲー者」もいる……彼女たちはみなオタク女だが、好きなものは少しずつ違う(ちなみに百合好き層もいるが、「刀剣乱舞」とはちょっと話がズレるのでおいておく)。

 もし刀剣男士が全員「審神者ラブ勢」だと、刀剣男士×刀剣男士に萌えている人にはあまりおいしくない。かといって、まったく刀剣男士が審神者に興味を抱いていなければ、刀剣男士×自分にときめく層には届かない。

 審神者の設定が曖昧だからこそ、「オタク女」という意外にややこしい集団の多くが楽しめるものになっているし、男性ユーザーも楽しめる。この辺りのさじ加減は、男性向けのゲームも女性向けのゲームも作ってきたニトロプラスのノウハウがフルに発揮されている。

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「に」と「を」の違い~あるいは魂を言葉で伝えることの難しさ

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憲法前文「『に』を『を』に」 変更求める石原氏に首相「どうか『忍』の一字で…」

 ……質問を志願したという石原氏が取り上げたのは憲法の前文。作家でもある石原氏は「諸国民の公正と信義『に』信頼して…」の部分について、正しくは「信義『を』信頼…」だと指摘。「間違った助詞の一字だけでも変えたい。それがアリの一穴となり、自主憲法の制定につながる」と訴えた。

 安倍晋三首相は石原氏の違和感に同意。「一字であっても変えるには憲法改正が伴う。『に』の一字だが、どうか『忍』の一字で…」と述べ、笑いを誘った。

 

 先日必要があってネットで翻訳関連の調べものをしていたときに、たまたま一ヶ月ほど前のこの話題についてのいくつかの記事を目にした。

 ちょっと気になったのでいろいろ調べてみると、わたしが見た限りではどれも「日本語の正しさ(または英文原案の翻訳の正しさ)に問題をすり替えるのはおかしい」とか「そもそも石原氏が『日本語の正しさ』を問題にするのはお門違い(つまり自身の日本語はどうなのか)」という論点に矛先を向けているようだ。

 わたしはそれは少し論点がズレていると思ったので、メモ書きしておく。

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「機械の作る文章」と「人間の作る文章」の価値

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説執筆支援ソフトを活用して書かれた小説「僕は小説が書けない」が発売

 芝浦工業大学情報工学科の米村俊一教授は28日、同大学卒業生の作家・中村航氏と共同で、小説執筆支援ソフト「ものがたりソフト」を開発したと発表した。

 認知心理学で用いられる「プロトコル解析法」という手法を用い、米村教授が中村氏の発話内容を書き出し、思考の規則性を整理することで小説家の思考をシステム化。書き手の頭の中にある断片的な思考をつなぎ、1つのあらすじの作成をサポートしてくれるソフトを開発した。

 実際に同ソフトで作成したプロットを基に書かれた青春小説「僕は小説が書けない」(中村氏と中田永一氏の合作)が11月1日に発売される。

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photo credit: brtsergio via photopin cc

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NHK「あさイチ」で孤立したひきこもりや高齢化したニートを意味する「SNEP(スネップ)」を紹介

 24日放送の「あさイチ」(NHK総合)で、孤立無業者を指す「SNEP(スネップ)」を紹介した。

 この日の番組では、女性の孤立・ひきこもりについて特集したが、その中で「SNEP」について紹介。

 「SNEP(Solitary Non-Employed Persons)」とは、ひきこもりや高齢化したニートなど孤立無業者を指す新しい定義で、(1)20歳~59歳である、(2)現在結婚していない、(3)仕事をしていない、(4)2日以上ひとり、もしくは家族としか話さない、のすべてに当てはまるとSNEPに該当するのだという。

 番組では、こうしたSNEPは2011年に162万人にのぼり、この10年でおよそ2倍に増えていると伝えた。

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photo credit: AlicePopkorn via photopin cc

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「物は言いようだよなぁ…」なんとなく騙された気がする求人募集あるある その2

「心理カウンセラーの資格を持っているから応募したのに、ただの占い記事作成だった」(28歳/IT)

 ファッション関係とは書かれていないものの「女性に特化したメルマガやライター」を募集している場合は、ほとんどが占いやスピリチュアル系のライター募集です。占い相談記事の返答はテンプレートがだいたい決まっているので、所々書き直して相手に返信、なんていうのがメジャー。相談されているわけでもなければ悩みの解決でもありません。
 「女性大募集! ウェブライター」→「女の子って占いとか好きでしょ? 適当にそれっぽく返信しておく仕事だからお願いね」

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NHKスペシャル『臨死体験~立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか』

NHKスペシャル『臨死体験~立花隆 思索ドキュメント
死ぬとき心はどうなるのか』

 

 人間の心にはいろいろな矛盾がある。その一つは、「真実を知りたい」という気持ちと同時に「真実を知りたくない」という気持ちがあることだ。そしてこの矛盾がもっとも峻烈な形で現れるのは、「死」についてだろう。

 つまり、死についてのて真実を知りたいという気持ちは最大限に強い一方で、いわばその反作用として、真実を知りたくないという気持ちも最大限に働く。ゆえに死について考えることは、人間の心に最大限の葛藤をもたらす。

 ただいずれにしても死は人生における最後にして最大のイベントなので、とりあえず真実を知る方向でほどほどに――度が過ぎると健康に良くないと思われる――考えてみることは有意義なことであろう。

 このとき頼りになる人物の一人は、ノンフィクション作家の立花隆氏である。「頼りになる」のは、博識だからとかとか本をたくさん書いているからとかという些末な理由からではなく、立花氏の「真実を知りたい」という気持ちが「真実」だと思えるからだ。余談だが「ノンフィクション作家」という呼び方は立花氏によく似合う。自分が真実だと思ったことを他人に分かりやすく伝える能力は当代随一であることは誰しも認めるだろう。

 その立花氏が「臨死体験」についての「真実」を追い求めたドキュメンタリーが、先日9月14日に放送されたNHKスペシャル『臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか』だ。

 立花氏はすでに『臨死体験』という著作を1994年に著している。今回のドキュメンタリーはそれから20年後の現在、臨死体験の謎の解明はどこまで進んだのか、ということがテーマである。

 以下ではまず番組の内容を概略したうえで、最後にごく簡単に感想を述べておく。

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photo credit: AlicePopkorn via photopin cc

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「宗教は信じないが魂は信じる」人は約4割

 以前『お墓に関する意識調査』(研究代表・鈴木岩弓東北大学大学院教授)における現代人の「霊魂観」に関する調査結果を紹介した。

 そこで若い世代ほど「人には霊魂がある」と思っていることを明らかにした。

 現代人の霊魂観に関して、今回はもう一つの調査結果を紹介したい。堀江宗正東京大学大学院人文社会系研究科准教授らが行ったアンケート調査(『自殺と死生観と社会的信頼の関連について』)で、現代人の宗教観と霊魂観について調べている。

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photo credit: OiMax via photopin cc

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「死んだらお墓はいらない」今、“ゼロ死”を選ぶ人が増えている

 3日放送のフジテレビ『ノンストップ!』は、「新たな終活」として注目される”ゼロ死”を特集。

 ゼロ死とは、葬式をあげない「ゼロ葬式」、遺骨を残さず墓を持たない「ゼロ墓」をあわせた考え方。

 エンディングコンサルタント・佐々木悦子さんは、ゼロ死について「ここ2~3年で相談者が急増している。」と、語った。

 あまり一般的な考え方のように思われない「ゼロ死」だが、全国の葬儀社を対象に行った最近の調査では、請け負った葬儀の中で「ゼロ死」の割合は、なんと22.3%。MC設楽統は「5人に1人は、結構多い」と驚いた様子を見せた。

 佐々木さんは「以前は、経済的な理由でお葬式をやらないケースが多かったが、今は、死ぬ自分に使うお金があったら、残された人たちに多くお金を残していきたいという現実的な考え方から、価値観で選ぶ方が増えてきている」と語った。

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photo credit: Bernhard Ellefsen via photopin cc

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 すでに述べたことだが、「心」や「魂」が「物理的実体」として存在する――物理法則が支配する世界に存在する――、ということはないだろう、とわたしは思う。

 「ない“だろう”」という推測的表現をしたのは、それが証明不可能だからだ。いわゆる「悪魔の証明」と呼ばれるのもので、存在しないことを証明することは極めて困難だからだ。

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photo credit: benoit_d via photopin cc

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若い世代ほど「霊魂」を信じている

 前回の記事で、鈴木岩弓東北大学大学院教授のグループが2011年に実施した『お墓に関する意識調査』のデータを紹介したが、同調査には他にも興味深い項目がある。現代人の「霊魂観」「供養意識」に関する項目だ。

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お盆スペシャル! 心暖まる和風もののけファンタジー漫画セレクション

 
 コトダマの里のAzuです。お盆休みの期間中で、帰省して故郷で過ごされている方も多いかと存じます。

 さて、先日のRyuさんの記事で、「“魂の抜けた”人間どうしで話をしていても“生き生きと”話をしている感じがしないということもあるだろうし、それよりは“霊魂”と話をしていたほうがまだ“生き生きと”話をしている感じがするということも真面目にありうる」とありましたが、これにはわたしも大いに賛同いたします。実際、隣にいる“魂の抜けた”Takeさんと話をしていると生きている感じがしなくなります。

 現代人にはそうした会話の能力はほとんど失われていると思いますが、八百万の神々が存在したいにしえの日本では、おそらくそうした生き生きとした会話が日常的に行われていたであろうと思いを馳せます。

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photo credit: pjan vandaele via photopin cc

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 日本人にとって今も昔も、お盆は正月と並んで重要な時期である。とはいえ、今やそれは実質的にはたんに「ある程度まとまって休暇をとる時期」になりつつある。人口減少や地方の過疎化が進むとこの傾向に拍車がかかるだろう。

 最近の子どもは、田舎のお祖父ちゃんお祖母ちゃんから正月のお年玉と同様に「お盆玉」をもらえる機会としてしか認識していないかもしれない。こうなると、お盆は正月と並んで半年に一遍の「お祝い事」である。

 とはいえ、お盆に実家に帰省して墓参りする人はまだ多いだろう。本日まさに実家で祖父母や親類とともに故人を偲んでいる人も多いかもしれない。

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photo credit: dishfunctional via photopin cc

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 人生上の経験や知識が増えると、心の理論はより内容豊かになる。これは、他者と理解しあえる部分や機会が増えることを意味する。

 しかしその一方で、心の理論はより複雑になる。これは、他者と十分に理解し合えることが難しくなることを意味する。

 これは、ひとまず論理的には、心の理論が「発達」していくにしたがい他者との関係が“浅く広い”ものになっていくことを含意する。大人になるというのは、ある側面ではそういうことである。

 ただこれだけだとコンピュータの「発達」とほとんど変わらない。人間は他者と機械的に付き合っているわけでも、機械的に生きているわけでもない。

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photo credit: tj.blackwell via photopin cc

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花風社:まず最初に、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」なんですが……。藤家さんは学校であの詩を習ったときどう思いました?

藤家:雨は痛いけど負けちゃいけないんだ、って思いました。彼はその時点で雨に負けていたんだろうな、とも。だから、「そういう人」になりたかったから書いたのかな、と思いました。

花風社:雨が痛い?

藤家:雨は痛いじゃないですか。当たると。傘をさしていても、はみ出た部分に雨が当たると一つの毛穴に針が何本も刺さるように痛くありません?

花風社:痛くありません。

ニキ:痛くない。

藤家:え!? みなさんは雨が痛くないんですか?

 
 かなり強い雨だとたしかに痛いが――

 先に書いたように、人間が他者(および自分)に「心的状態」(欲求、信念、感情など)を帰属させてその行動を理解しようとする知的能力のことを「心の理論(Theory of Mind)」と呼ぶ。この心の理論の初期段階の発達を確認するためのテスト課題は「誤信念課題」と呼ばれ、一般には5歳ぐらいまでに正答できるようになる。しかし、自閉症児は同時期にこの課題をクリアするのが困難であることが分かっている(*)

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Mirror Neurons(jonlieffmd.com)

Mirror Neurons(jonlieffmd.com)

 「心の“理論”」というくらいだから、それは知的推論の枠組みである。

 しかしながら、3~5歳ぐらいの幼児に「推論」などという高尚なことがどこまでできるのだろうか。とりわけ他人の(および自分の)「心」という目に見えなず、触って確かめたりできない対象について、はたしてある程度体系的に推論の枠組みを構築できるものだろうか。

 これについて、最近の脳科学によって、この推論のベースとなる神経回路があらかじめ脳にビルトインされていることがわかってきているようだ。

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photo credit: Chris_Parfitt via photopin cc

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 人間が他者(人間、動物など)に「心的状態」(欲求、信念、感情など)を帰属させて他者の行動を理解しようとする知的能力のことを「心の理論(Theory of Mind)」と呼ぶ。

 例えば、ある人が水の入ったコップに手を伸ばしているとき、われわれはその現象を見て「ある人の手がコップに近づいている」というような理解の仕方はしない。ふつうは「ある人がコップの水を飲もうとしている」というような理解をする。

 このとき、われわれは目の前の人の「心的状態」を現象の解釈の手がかりにしている。つまりその人は「水が飲みたい」という「欲求」、「コップに水が入っている」という「信念」をもっていて、“それゆえ”「コップの水を飲もうとしている」という現象が生じているのだな、と理解する。

 心の理論が用いられる対象は人間とは限らない。例えば、「このニャンコはエサが欲しくてすり寄ってきたな」とか「このゴキブリはあの床に落ちたパンくずを狙っているな」とかというぐあいに人間以外の対象の行動を予測したり解釈したりするさいにも用いられる。

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わたしはサイコパスかもしれない、と思うとき

photo credit: Luminis Kanto via photopin cc

 
 最近思うのは、ロボットが人間に近づくよりは、人間がロボットに近づく方が早いかもしれない、ということである。

 あるいは、「心」とか「魂」とかといった観念は人間にとってすでに“ファンタジー”であって、「脳」だけが“リアル”なものになりつつあるのかもしれない。

 例えば、何か想像を絶する理解し難い人間行動を見て、「ああ、これはたぶん脳機能の障害が原因だな」とみなして、後はすぐさま「医療管理体制の不備」とか「社会的リスク・マネージメントの確立」というたぐいの議論に関心が移行したりする。

 こういう議論に比べると、例えば“命の教育”といったスローガンはとても“ファンタジー”な響きがある。

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BLADE RUNNER

“I’ve seen things you people wouldn’t believe.
Attack ships on fire off the shoulder of Orion.
I watched c-beams glitter in the dark near the Tannhauser Gate.
All those moments will be lost in time, like tears in rain.
Time to die.”

 
 わたしがロボットに関心があるのは、(タマシイ)に関心があるからである。と言うと、「ロボットに魂があるのか」という問いがたぶん出てくるだろう。

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Terminator(wall.alphacoders.com)

Terminator(wall.alphacoders.com)

「人工知能は人類史最悪の脅威」―ホーキング博士

 イギリスの物理学者、スティーブン・ホーキング博士が英インデペンデント紙に語ったところによると、人工知能は病気や戦争、貧困の根絶に貢献する可能性がありながらも、人類史上最悪の脅威になりうるとのこと。

 人間の役に立つと見せかけた人工知能や自動運転の乗り物たちが、いつか人類の終わりを招くかもしれないと述べ、ロボットの開発に警鐘を鳴らしています!

 ……(中略)……

 博士は、「アービング・グッド(イギリスの数学者)は、1965年には人間の脳を超える知能が繰り返しその知能を改良して進化するようになると気づいていた」と述べ、専門家らはこうした事態に用意が出来ておらず、「人類にとって最良にも最悪にもなり得る事態に直面しながら、関連する研究が少ない」との懸念を表明しています。

 ロボット(コンピュータ)が人間と日常生活の中でコミュニケーションできる程度に「知能」をいずれ持つであろうことは、わたしにとっては想像に難しい未来ではない。

 そのさい、その「知能」――「思考」や「感情」を含めて――が人間のそれと似たようものかどうかは、さしあたりは人間の都合による。あるいはそれが人間が理解し難い「思考」や「感情」だからと言って「低能」と決めつけることはできないだろう。うまく「付き合う」ためには、人間の側からの歩み寄りも必要だ。

 ただわたしはロボットの「知能」よりは「価値観」に関心がある。つまり、ロボットが知能的には人間と同等以上の存在になったとき、はたしてどんな「価値観」を持っているだろうか。

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