Malala Yousafzai addresses United Nations Youth Assembly

Malala Yousafzai addresses United Nations Youth Assembly

マララさん タリバン銃撃乗り越え国連演説全文「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」

 親愛なる少年少女のみなさん、私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきます。私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます。同じように、私たちがパキスタン北部のスワートにいて、銃を目にしたとき、ペンと本の大切さに気づきました。

 「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです。

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photo credit: brtsergio via photopin cc

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NHK「あさイチ」で孤立したひきこもりや高齢化したニートを意味する「SNEP(スネップ)」を紹介

 24日放送の「あさイチ」(NHK総合)で、孤立無業者を指す「SNEP(スネップ)」を紹介した。

 この日の番組では、女性の孤立・ひきこもりについて特集したが、その中で「SNEP」について紹介。

 「SNEP(Solitary Non-Employed Persons)」とは、ひきこもりや高齢化したニートなど孤立無業者を指す新しい定義で、(1)20歳~59歳である、(2)現在結婚していない、(3)仕事をしていない、(4)2日以上ひとり、もしくは家族としか話さない、のすべてに当てはまるとSNEPに該当するのだという。

 番組では、こうしたSNEPは2011年に162万人にのぼり、この10年でおよそ2倍に増えていると伝えた。

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Frozen - Olaf((C)Disney)

Frozen – Olaf((C)Disney)

「オラフ」と「こだま」

 『アナと雪の女王』の「オラフ」を最初に見たとき、宮崎駿監督の『もののけ姫』の「こだま」(木霊)に似ていると思った。

もののけ姫 - こだま((C)スタジオジブリ)

もののけ姫 – こだま
((C)スタジオジブリ)

 もちろんオラフは雪の精霊で、こだまは森の精霊という違いはある。それ以上に、キャラクターの表情が全然が違う

 オラフはとても表情豊かで、なおかつ(ディズニーのCG技術のおかげで)表情にとてもリアリティがあるのに対し、こだまはほとんど無表情で、リアリティにも乏しい。

 わたしの考えでは、オラフとこだまはそれぞれ、『アナと雪の女王』と『もののけ姫』、あるいはディズニーアニメと宮崎アニメ、さらには欧米の芸術文化日本の芸術文化の特徴を表す象徴の役割を果たしていると思われる。

 以下で、この点について少し述べてみよう。

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Frozen

Frozen (C)Disneyjp

『アナ雪』が原因で離婚も!?米メディアが日本の異常なフィーバーぶりに注目!

 公開から77日間で日本での歴代興行成績が、『千と千尋の神隠し』(01)、『タイタニック』(97)に続く第3位に躍り出た『アナと雪の女王』。快進撃はまだまだ続いているが、全米では歴代19位、全世界で5位という順位を考えても、特に日本のけん引力の強さがうかがえる。そんな中、米メディアが日本での異常なまでのフィーバーぶりに注目し、興味深い記事を掲載している。

Digitalspy.comが「日本人の女性は、夫が『アナと雪の女王』が好きじゃないという理由で、離婚を言い渡す」というタイトルで取り上げている記事は、「既婚者の墓場」という日本のウェブサイト情報によるもの。

「『アナと雪の女王』を見るたびにうっとりし、1人で何度も劇場に足を運んだ29歳の女性は、夫に一緒に映画を観賞するように頼んだ。夫は最初、ミュージカル映画を見るのを拒んでいたが、彼女が納得しなかったので、最終的には折れて、妻と一緒に劇場に行った。しかし、『まあ、いいんじゃない。個人的にはどうでもいい映画だけど。そんなによかった?』と言ってしまったことで、妻がキレてしまったようだ。」

「妻は、『この映画の素晴らしさを理解できないのは、人間としてどこか欠陥がある証拠だわ。離婚しましょう』と言い放ち、6年間連れ添った夫と離婚することを宣言し、実家に戻ってしまった。」

 
 ディズニーのアニメーション映画『アナと雪の女王』は世界的に大ヒットしているが、とくに日本で大ブームを巻き起こしていることがそれに貢献しているようである。

 もともと日本は世界に冠たるアニメ大国であるし、ディズニーランドは日本の最大の娯楽施設であるので、世界的に評価の高いディズニーアニメであれば当然の反応と言えば当然と言える。その一方で、ディズニーのマーケティング戦略とか日本のサブカルチャー事情とか、様々な要因分析も今後多くなされるであろう。

 「コトダマ新聞」の読者はご存じのように、『アナと雪の女王』に関してはAzu記者が熱心に取り上げている。いちおう「シニアにおすすめの話題」という趣旨であるが、たんに自分の感動を伝えたいということもあるだろう。

 そのさい『アナと雪の女王』の「真意」をAzu記者が解読しているが、それはそれとして、わたしはそれとはまったく別の角度から捉えてみたい。

 すなわち、『アナと雪の女王』は本国アメリカや他の国々とは異なる、日本独特の文化的感性のもとで受け入れられているのではないか、という観点である。

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「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市(宇陀市HP)

「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市(宇陀市HP)

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ
(東野炎 立所見而 反見為者 月西渡)

柿本人麻呂(万葉集1・48)

 
 以前ふれたように、この歌は「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題された長歌・短歌4首の組み歌、いわゆる「安騎野遊猟歌」(万葉集1・45~49)の中の一つである。安騎野は現在の奈良県宇陀市旧大宇陀町一帯の小さな盆地で、古くから狩猟地として知られる(ちなみに精霊信仰の古代社会では狩猟は神聖な営みでもあった)。

 軽皇子は、天武天皇と持統皇后(天皇)の間に生まれた皇太子草壁皇子の子である。父の草壁皇子は皇位に就く前に若くして亡くなったので、軽皇子は早くから後継として期待されていた。この安騎野遊猟歌は、軽皇子が父の死の3年後10歳のときに安騎野に狩りに出かけたときのものであるが、安騎野は亡き草壁皇子も狩猟に訪れた追憶の地でもある。同行した人麻呂はこのことをよく理解し、持統天皇の意を体してこの歌を作ったと考えられている。

 ところでこの歌は、古来、万葉集随一の名歌と称えられ、それゆえ歌の解釈や解説も一二を争うほど膨大にある。わたしは、そのこと自体が優れた芸術作品の証しだと思う。独創的な作品は独創的な解釈を生み出す。独創的な解釈は、解釈という名の新たな芸術作品である。

 例えば、「炎」を「かぎろひ」と訓(よ)む歌は、賀茂真淵の「作品」と呼んでも良いのではないだろうか。実際、江戸時代までは「けぶり」と訓まれていて、その方が自然だという説もある。ただ真淵以降「かぎろひ」が多くの支持を得ているのは、その方が歌として「美しい」と思う人が多いからだろう。ということは、やはりそれは真淵の芸術作品ということでもある。

 それはともかく、ここではこの歌がなぜ「芸術」として優れているかについてわたしなりに考えてみたい。

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言霊とは何か(7)~“挽歌詩人”柿本人麻呂:魂を扱う術

photo credit: williamcho via photopin cc

日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首併せて短歌

天地(あめつち)の 初めの時 ひさかたの 天の河原(あまのかはら)に
八百万(やほよろづ) 千万(ちよろず)神の 神集(かむつど)ひ 集ひ座(いま)して
神分(かむはか)り 分りし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)の命(みこと)
天(あめ)をば 知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)の国を
天地の 寄り合ひの極 知らしめす 神の命と
天雲の 八重かき別(わ)けて 神下(かむくだ)し 座(いま)せまつりし
高照(たかて)らす 日の皇子(みこ)は 飛鳥の 清御(きよみ)の宮に
神(かむ)ながら 太敷きまして 天皇(すめろき)の 敷きます国と
天の原 石門(いはと)を開き 神上(かむのぼ)り 上り座(いま)しぬ
吾が王(おほきみ) 皇子の命の 天(あめ)の下 知らしめしせば
春花の 貴からむと 望月の 満(たた)はしけむと
天の下 四方(よも)の人の 大船の 思ひ頼みて
天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか
由縁(つれ)もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座(いま)し
御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言問(みことと)はさず
日月 数多(まね)くなりぬる そこ故(ゆえ)に 皇子の宮人(みやひと) 行方知らずも

反歌二首
ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
あかねさす 日は照らせれど ぬば玉の 夜渡る月の 隠らく惜しも

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東の野に炎の立つ見えて

東の野に炎の立つ見えて(NipponArchives

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ 柿本人麻呂(万葉集1・48)


 この歌は、「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題されたいわゆる「安騎野遊猟歌」(万葉集1・45~49)の中の一つである。人麻呂の代表作の一つで、高岡市万葉歴史館(前)館長の小野寛氏によれば「近世から現代に至る多くの万葉集秀歌選の集計をしたところ、人麻呂の歌で最も多く選ばれている」(*1)ものだそうである。

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石見の荒磯と山の歌

石見の荒磯と山の歌
(出典:西日本万葉の旅(JR西日本)

 「言霊と和歌のつながり」を解き明かすための伏線として、前回は「ライトノベル」を引き合いに出した。今回はもう一本の伏線として、先日の記事でAzuさんが取り上げた「ミュージカル」を引き合いに出したい。(伏線ばかりにならないように気をつけたいが。)

 Azuさんは「感情表現のアート」という点では歌舞伎もミュージカルも同じだと述べている。これは正しいと思うが、ただそもそも芸術一般が多かれ少なかれ「感情表現のアート」である。また、「エモーショナルでドラマティックな感情表現」がミュージカルに固有の特徴なわけでもない。

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photo credit: TruShu via photopin cc

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 前回「言霊とは何か(3)~祭式に寓る言霊」において、西郷信綱『増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味』の解読を通じて、日本の祭式における「言霊」(コトダマ)と「和歌」の伝統のつながりが次のテーマとして浮かび上がったが、そのテーマに直接向かう前に、そこに行くための補助線を一つ引いておきたい。

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photo credit: Luke,Ma via photopin cc

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 前回の「言霊とは何か(2)~言霊の幸はふ国」で引用したが、西郷信綱『増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味』(未来社)は、「言霊とは何か」を考える上で決定的に重要な本である。ゆえにコトダマの里にとってもその礎石となる重要な本である。その意味で「コトダマとは」のところで解説すべきかもしれないが、一方で場違いな気もするので差し控えている。

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 「合格を待ちて逝きたる孫思い 泥にまみれし写真を洗う」。「ドキュメント 震災三十一文字」(NHK出版)にある宮城県石巻市の阿部敬子さんの歌である。阿部さんはあの3月11日午前、孫の花音(かのん)さんの中学校の卒業式に参列したという。

 津波で行方不明になった花音さんの志望高校合格を知ったのは4日後、遺体安置所となった学校の掲示でだった。花音さんの遺体は2週間後に見つかる。何十年かぶりに詠んだ歌に託すしかなかった阿部さんの思いである……

 奪われた時を共に刻み直し、人々を結びつける「希望」こそが求められる震災4年目である。きっと災害列島に暮らす運命を共にするすべての人に問われているはずのその「希望」のありかだ。

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photo credit: Eneas via photopin cc

photo credit: Eneas via photopin cc

 「私は彼が自動機械でないと信ずる」というのは、かくしてそのままでは、いまだいかなる意義ももってはいない。私の彼に対する態度は、魂に対する態度である。私は、彼には魂があるという意見をもっているのではない。

 

 先月末、男子大学生が交際相手の女子学生に自殺をそそのかした自殺教唆の容疑で逮捕され、その後検察側の勾留請求が東京地裁に却下され保釈されるという出来事があった。

 男子学生は交際相手の女子学生に無料通信アプリ「LINE(ライン)」を使って「お願いだから死んでくれ」「手首切るより飛び降りれば死ねるじゃん」などとメッセージを送信し、翌日未明に女子学生は自宅マンションの8階から飛び降りて死亡した。

 数日後、警視庁に男子学生が自殺に追い込んだという情報提供があり、同署がLINEの記録を調べたところ自殺をそそのかすメッセージが見つかったため男子学生を逮捕した。しかしマスコミの報道によると、女子学生は以前から自傷行為を繰り返し自分の手首の写真をTwitterに晒すなど精神的に不安定なところがあったようだ。こうした背景的文脈を考慮して保釈されることになったのだろう。

 以前に女子中学生の自殺について取り上げたときにも述べたが、LINEやTwitterといったSNS(ソーシャルネットワークサービス)がらみの事件は舞台装置がいかにも現代的で、かつSNSそのもので情報が拡散しやすいので大きく取り上げられ話題にされがちである。しかし事の本質は昔とさほど変わらない。つまり自殺の原因や背景は人間関係や社会的・経済的・精神的状況にあり、そのきっかけや道具がそのときどきによって違ってくるに過ぎない。

 しかしそうは言っても、今回の出来事で少し気になったことがある。

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20140222-1-1

 

 ソチオリンピックのフィギュアスケート女子シングルのフリープログラムでの浅田真央選手の演技について、“魂の舞”という表現をテレビで見かけた。

 なぜここで“魂”という言葉がふさわしいものとして出てくるのか。そのことについて考えてみた。

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photo credit: Nettie Knits1 via photopin cc

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 「言霊」(ことだま)という言葉が日本の文献で最初に登場するのは『万葉集』で、有名な「言霊の幸はふ国」のフレーズとして山上憶良の「好去好来の歌」の冒頭に出てくる。

 神代(かむよ)より 言い伝て来らく そらみつ 倭国(やまとのくに)は 皇神(すめかみ)の厳しき国 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ 言い継かひけり 今の世の 人もことごと 目の当たりに 見たり知りたり……(『万葉集』八九四)

 神代からの言い伝えとして「(そらみつ)大和の国は、神々の(霊威の)いかめしい国であり、言霊(ことだま)が幸いをもたらす国である」と語り伝えてきた。(そのことは)今の世の人もみな、まのあたりにしているし、知っている……(佐佐木隆『言霊とは何か 古代日本人の信仰を読み解く』(中公新書)10頁)

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 今回から不定期で「言霊(ことだま)」について取り上げたい。

 とくにある特定の出来事や現象についての話ではないので、「コトダマ新聞」で取り上げるべきではないかもしれないが、最近は何でもありの様相を呈してきているのでこちらでもいいかなと思った。ただその一方で、最近のジャーナリスティックな話題のなかで「言霊」の親類関係にある種々の言葉(「英霊」とか「魂の旋律」とか)が大きく取り上げられたりしているので、「言霊」について考えていることを明らかにしておいた方がいいだろうと思った次第である。本来ならばもっと最初のほうできちんと取り上げるべきだったが忙しさにかまけてずるずると後回しにしてきたので、これらの話題は結果として重い腰を上げるきっかけを提供してくれたとも言える。

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The approach and cluster amaryllis of moss (Japanese scenery photograph wallpaper)

The approach and cluster amaryllis of moss
(Japanese scenery photograph wallpaper)

「タマシイの交流」としての弔い

 「死」は宗教の源泉であるが、「死者」の扱いは宗教によって様々である。

 西方のキリスト教文化やイスラム教文化では死者の処遇は神の管轄になるので、生者が与り知るところではない。神の裁きによって復活し永遠の命を得ることを祈るのみである。

 東アジアの宗教文化は、もともと「先祖崇拝」の伝統をもつ。死者(先祖霊)は本来的に神(天)に近い存在であり、生者(子孫)を救う側にある。それはときに尊崇の対象であり、ときに畏怖の対象である。ゆえに、死者(先祖)の弔いとは守護霊としての祖霊を畏れ敬うことであり、そのご加護を祈願することである。

 それに対し仏教では、死者は救われる側に位置づけられる。それは慈悲の対象であり、憐情の対象である。ゆえに、死者の弔いとは追善供養、追善回向によって輪廻転生の中で苦しみもがいている死者に自らの功徳を施すことである。

 このように死者の置かれた境遇は対極的ではあるが、いずれにしても死者のタマシイは現世とは別次元の霊的次元に存在する。そして弔いとは、その霊的次元との交流であり、死者のタマシイとのコミュニケーションである。ただし、このタマシイとのコミュニケーションには、ある特別の資格をもつ仲介者とそれによって執り行われる宗教的儀礼が必要である。

 ここで注目したいのは、この形式が現代的な感覚に合わなくなりつつあるのではないか、ということである。少なくとも、死者を弔うにしても、他者が介入しない、もっと直接的なタマシイの交流がありえてよいのではないのか。弔いのあり方はそれぞれの文化の文字通り「タマシイ」であるので、伝統は尊重しなければならないが、現代的な文脈に即した文化的オプションもあってよいはずである。

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