「マインドフルネス」と「止観」について

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 先日のAzuさんの記事について、わたしなりに考えたことを補足(蛇足)として追記してみたい。

 「マインドフルネス」は仏教の瞑想法の一つの方法論から派生して、現在では精神的・身体的な健康法の一種として普及しているようである。

 わたしは精神的・身体的な健康法の一種として研究が進んでいくことはよいことだと思う。ただそれは、もともとの仏教の教義とは別物と考えるべきだろうし、宗教とも切り離して考えるべきだと思う。

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マインドフルネス瞑想法~自分の心に気づく方法

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マインドフルネス 注目集まる理由は?

 阿部「今、海外で話題となっている取り組みです。」

 カナダ中部の町、ウィニペグ。
 人々が集まって始めたのは…。
 「瞑(めい)想」です。

 集中力が上がるのではないかと注目されているのです。

 参加者「とてもリラックスできて、一日を頑張ることができます。」

 この瞑想、海外では「マインドフルネス」と呼ばれ、グーグルやインテルなど、ストレス対策として社員 研修のメニューに取り入れる企業が増えています。
 アメリカの雑誌「TIME」でも特集が組まれるほどの人気です。
 そして日本でも、先週、精神科医や臨床心理士などが集まって、学会のシンポジウムが初めて開かれました。
 治療に生かせないかと、期待が集まっているのです。

 

 コトダマの里のAzuです。最近ぐっと気温が下がって次第に冬の気配が色濃くなり始めてきましたが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

 ところで先日、NHKの「おはよう日本」の特集で「マインドフルネス」という瞑想法が紹介されていました。

 番組によると、この「マインドフルネス」という瞑想法は、グーグルやインテルなど米国の世界的な大企業が社員研修に取り入れていて、日本でも企業や医療機関などからストレス解消やメンタルヘルスの方法として注目を集めているそうです。

 わたしは名前だけは知っていたのですが、ちょっと気になったので調べてみました。

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photo credit: brtsergio via photopin cc

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NHK「あさイチ」で孤立したひきこもりや高齢化したニートを意味する「SNEP(スネップ)」を紹介

 24日放送の「あさイチ」(NHK総合)で、孤立無業者を指す「SNEP(スネップ)」を紹介した。

 この日の番組では、女性の孤立・ひきこもりについて特集したが、その中で「SNEP」について紹介。

 「SNEP(Solitary Non-Employed Persons)」とは、ひきこもりや高齢化したニートなど孤立無業者を指す新しい定義で、(1)20歳~59歳である、(2)現在結婚していない、(3)仕事をしていない、(4)2日以上ひとり、もしくは家族としか話さない、のすべてに当てはまるとSNEPに該当するのだという。

 番組では、こうしたSNEPは2011年に162万人にのぼり、この10年でおよそ2倍に増えていると伝えた。

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NHKスペシャル『臨死体験~立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか』

NHKスペシャル『臨死体験~立花隆 思索ドキュメント
死ぬとき心はどうなるのか』

 

 人間の心にはいろいろな矛盾がある。その一つは、「真実を知りたい」という気持ちと同時に「真実を知りたくない」という気持ちがあることだ。そしてこの矛盾がもっとも峻烈な形で現れるのは、「死」についてだろう。

 つまり、死についてのて真実を知りたいという気持ちは最大限に強い一方で、いわばその反作用として、真実を知りたくないという気持ちも最大限に働く。ゆえに死について考えることは、人間の心に最大限の葛藤をもたらす。

 ただいずれにしても死は人生における最後にして最大のイベントなので、とりあえず真実を知る方向でほどほどに――度が過ぎると健康に良くないと思われる――考えてみることは有意義なことであろう。

 このとき頼りになる人物の一人は、ノンフィクション作家の立花隆氏である。「頼りになる」のは、博識だからとかとか本をたくさん書いているからとかという些末な理由からではなく、立花氏の「真実を知りたい」という気持ちが「真実」だと思えるからだ。余談だが「ノンフィクション作家」という呼び方は立花氏によく似合う。自分が真実だと思ったことを他人に分かりやすく伝える能力は当代随一であることは誰しも認めるだろう。

 その立花氏が「臨死体験」についての「真実」を追い求めたドキュメンタリーが、先日9月14日に放送されたNHKスペシャル『臨死体験 死ぬとき心はどうなるのか』だ。

 立花氏はすでに『臨死体験』という著作を1994年に著している。今回のドキュメンタリーはそれから20年後の現在、臨死体験の謎の解明はどこまで進んだのか、ということがテーマである。

 以下ではまず番組の内容を概略したうえで、最後にごく簡単に感想を述べておく。

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photo credit: AlicePopkorn via photopin cc

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「宗教は信じないが魂は信じる」人は約4割

 以前『お墓に関する意識調査』(研究代表・鈴木岩弓東北大学大学院教授)における現代人の「霊魂観」に関する調査結果を紹介した。

 そこで若い世代ほど「人には霊魂がある」と思っていることを明らかにした。

 現代人の霊魂観に関して、今回はもう一つの調査結果を紹介したい。堀江宗正東京大学大学院人文社会系研究科准教授らが行ったアンケート調査(『自殺と死生観と社会的信頼の関連について』)で、現代人の宗教観と霊魂観について調べている。

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 すでに述べたことだが、「心」や「魂」が「物理的実体」として存在する――物理法則が支配する世界に存在する――、ということはないだろう、とわたしは思う。

 「ない“だろう”」という推測的表現をしたのは、それが証明不可能だからだ。いわゆる「悪魔の証明」と呼ばれるのもので、存在しないことを証明することは極めて困難だからだ。

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若い世代ほど「霊魂」を信じている

 前回の記事で、鈴木岩弓東北大学大学院教授のグループが2011年に実施した『お墓に関する意識調査』のデータを紹介したが、同調査には他にも興味深い項目がある。現代人の「霊魂観」「供養意識」に関する項目だ。

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photo credit: pjan vandaele via photopin cc

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 日本人にとって今も昔も、お盆は正月と並んで重要な時期である。とはいえ、今やそれは実質的にはたんに「ある程度まとまって休暇をとる時期」になりつつある。人口減少や地方の過疎化が進むとこの傾向に拍車がかかるだろう。

 最近の子どもは、田舎のお祖父ちゃんお祖母ちゃんから正月のお年玉と同様に「お盆玉」をもらえる機会としてしか認識していないかもしれない。こうなると、お盆は正月と並んで半年に一遍の「お祝い事」である。

 とはいえ、お盆に実家に帰省して墓参りする人はまだ多いだろう。本日まさに実家で祖父母や親類とともに故人を偲んでいる人も多いかもしれない。

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 人生上の経験や知識が増えると、心の理論はより内容豊かになる。これは、他者と理解しあえる部分や機会が増えることを意味する。

 しかしその一方で、心の理論はより複雑になる。これは、他者と十分に理解し合えることが難しくなることを意味する。

 これは、ひとまず論理的には、心の理論が「発達」していくにしたがい他者との関係が“浅く広い”ものになっていくことを含意する。大人になるというのは、ある側面ではそういうことである。

 ただこれだけだとコンピュータの「発達」とほとんど変わらない。人間は他者と機械的に付き合っているわけでも、機械的に生きているわけでもない。

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photo credit: tj.blackwell via photopin cc

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花風社:まず最初に、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」なんですが……。藤家さんは学校であの詩を習ったときどう思いました?

藤家:雨は痛いけど負けちゃいけないんだ、って思いました。彼はその時点で雨に負けていたんだろうな、とも。だから、「そういう人」になりたかったから書いたのかな、と思いました。

花風社:雨が痛い?

藤家:雨は痛いじゃないですか。当たると。傘をさしていても、はみ出た部分に雨が当たると一つの毛穴に針が何本も刺さるように痛くありません?

花風社:痛くありません。

ニキ:痛くない。

藤家:え!? みなさんは雨が痛くないんですか?

 
 かなり強い雨だとたしかに痛いが――

 先に書いたように、人間が他者(および自分)に「心的状態」(欲求、信念、感情など)を帰属させてその行動を理解しようとする知的能力のことを「心の理論(Theory of Mind)」と呼ぶ。この心の理論の初期段階の発達を確認するためのテスト課題は「誤信念課題」と呼ばれ、一般には5歳ぐらいまでに正答できるようになる。しかし、自閉症児は同時期にこの課題をクリアするのが困難であることが分かっている(*)

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Mirror Neurons(jonlieffmd.com)

Mirror Neurons(jonlieffmd.com)

 「心の“理論”」というくらいだから、それは知的推論の枠組みである。

 しかしながら、3~5歳ぐらいの幼児に「推論」などという高尚なことがどこまでできるのだろうか。とりわけ他人の(および自分の)「心」という目に見えなず、触って確かめたりできない対象について、はたしてある程度体系的に推論の枠組みを構築できるものだろうか。

 これについて、最近の脳科学によって、この推論のベースとなる神経回路があらかじめ脳にビルトインされていることがわかってきているようだ。

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photo credit: Chris_Parfitt via photopin cc

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 人間が他者(人間、動物など)に「心的状態」(欲求、信念、感情など)を帰属させて他者の行動を理解しようとする知的能力のことを「心の理論(Theory of Mind)」と呼ぶ。

 例えば、ある人が水の入ったコップに手を伸ばしているとき、われわれはその現象を見て「ある人の手がコップに近づいている」というような理解の仕方はしない。ふつうは「ある人がコップの水を飲もうとしている」というような理解をする。

 このとき、われわれは目の前の人の「心的状態」を現象の解釈の手がかりにしている。つまりその人は「水が飲みたい」という「欲求」、「コップに水が入っている」という「信念」をもっていて、“それゆえ”「コップの水を飲もうとしている」という現象が生じているのだな、と理解する。

 心の理論が用いられる対象は人間とは限らない。例えば、「このニャンコはエサが欲しくてすり寄ってきたな」とか「このゴキブリはあの床に落ちたパンくずを狙っているな」とかというぐあいに人間以外の対象の行動を予測したり解釈したりするさいにも用いられる。

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