Hans Andersen "The Snow Queen" (en.wikipedia.org)

Hans Andersen “The Snow Queen” (en.wikipedia.org)

 

  • この記事は『アナと雪の女王』のネタバレを含みます。

 

【ネタバレまくり】【妄想全開】

 物語を十分に愉しむ仕方の一つは、解釈を自由に膨らませて妄想を解き放つことだと思います。深読み、裏読み、斜め読みを駆使して、好き勝手な解釈を縦横無尽に展開します。

 物語の解釈は数学の問題と違って正解がありません。わたしのように正解が嫌いな――「苦手な」ではありませんので誤解ないよう――タイプの人間にとって物語は自分が安心して自由でいられるバーチャルユニバース(仮想宇宙)です。

 『アナと雪の女王』の読み手がかりに1千万人いるとしたら、1千万の『アナと雪の女王』の物語があることになります。そしてそれぞれの『アナと雪の女王』がブログやSNSにアップされるととても嬉しい。「へー?」「ほー!」と思わずうなずいたり目から鱗が落ちる読みがあったりすると、妄想がいっそう膨らみます。あまりにも妄想が膨らみすぎると、元の物語とは似ても似つかないものになりますから注意しましょう。(「腐」にありがちなパターン)

 以下私の妄想を紹介しますので、一人でも妄想仲間が増えてくれることを望みます。

謎のキャラクター~ハンス王子

 言うまでもなく『アナと雪の女王』の元ネタはアンデルセンの『雪の女王』です。ただ原作とは内容が大きく異なりますし、何よりも伝えようとしていることが大きく違うとわたしは考えています。

 ちなみにジブリの鈴木プロデューサーは次のように話をしています。

ジブリ鈴木敏夫、長編アニメ映画賞受賞の『アナと雪の女王』に感心

 「最初はディズニーが原作を大幅に変えるなんて話も聞いていたけど、観たらまったく原作の精神である自己犠牲のテーマを変えていなかった。これは驚きでした。古典をちゃんと古典として描いているんです。それと原作通り2人のヒロインの話になっている。アニメーションに限らずどんな作品でも、男女の話にして、男の子の手を借りるものですが、この作品はちゃんと2人のヒロインの話になっているんです。そのことに感心したのと同時に、今の時代を表している作品になっていると思いましたね」

 

 
 たしかに「自己犠牲」がテーマと言えば言えるけど、自己犠牲の「行く先」がアンデルセンとは違うように思います。

 ただそれを考える前に、映画を見ていて一番気になったのはサザンアイルズ王国のハンス王子のキャラクター設定という人は多いのではないでしょうか。

 ハンスは、物語が終わってから見ると一応「悪役」(villain)で、実際表面的には典型的な悪役キャラ――いっけん善人そうでじつは悪人――なのですが、ただ最初はあまりにアナとラブラブな雰囲気なのでその豹変には戸惑いを覚える人も多いでしょう。映画を見終わった後も何となく違和感というかスッキリしません。大人ですらそうなので、純粋なハートの子どもにとっては違和感どころかトラウマレベルじゃないでしょうか。それに個人的には、アナとハンスがラブラブムード一杯でデュエットする大のお気に入りの曲“Love Is an Open Door”にケチがついたようで腹立たしくすらあります(レベル激おこ)

 ただまさにそこにジェニファー・リー監督が仕掛けた大きなワナがあったのですね。(釣られてしまった~!)

 ジェニファーはインタビューで「ハンスは鏡」だと述べています。

「ハンスはとても有能で魅力的です。彼はすべての人を鏡のように映し出します。実際、原作では鏡はとても重要な役割を果たします。わたしたちはストーリーを練り上げる中で鏡について話し合い、それをストーリーに持ち込みました。それで結局、ハンスは鏡であり(Hans is is a mirror)、とても魅力的だけれども中身は空っぽで社会病質的(sociopathic)なキャラクターにしたのです。」

 ちなみにこの点に関しては、以下のサイトで詳しく突っ込まれています。

 ハンスが矛盾する様々な解釈を呼び起こすのも無理はありません。ハンスという存在は、「本当の」ハンスという存在は、どこにもないのです。図書室のシーンですら。『アナと雪の女王』で、ハンスが登場する全てのシーンにおいて、彼は他のキャラクターの鏡として機能します。彼らの感情や思いを具現化するのです。

 彼は誠実でないわけではありません。むしろその反対です。彼はどの瞬間も反映する人たちに誠実なのです。ある瞬間には真摯に愛し、またある瞬間には真摯に優しさを見せ、そしてまたある時には死刑を執行します。彼の人格は「共感」であり、自分の傍にいる人を映し出すのです。

 「ハンスって誰?」とオラフは尋ねます。その答えは、人ではなく、キャラクターでもありません。彼は鏡なのです。それも、もしかしたら超自然的な鏡かもしれません――周りの人たちを、彼らの愛や恐れ、悪徳や美徳、人生や死を反映する鏡なのです。

 
 ふーむ、鏡か……。アンデルセンの『雪の女王』でも鏡は重要な役割を果たしています。雪の女王に連れ去られる少年カイの目と心臓に突き刺さったのは「悪魔の鏡」のかけらだし、雪の女王は氷の城で氷の湖である「理性の鏡」の上の玉座に座っています。

 ただ、ハンスが「中身は空っぽで社会病質的(sociopathic)な鏡」とはどういうこと?

 ところで、「ソシオパシー」については、以下の解説が参考になりました。

ヘア博士、バビアク博士とのインタビュー 「スーツを着た蛇」を知る男たち

 サイコパシーと社会病質(sociopathy、以下「ソシオパシー」)という用語は、関連性はあるが同一ではない状態を指します。

 サイコパスは、社会的、環境的要因では十分理解できない性格特性や行動パターンを有しています。彼らには良心というものがなく、他人に対して共感、罪の意識、忠誠心をおぼえる能力がないとされています。

 ソシオパシーというのは、正式な精神病状ではなく、社会全体から反社会的で犯罪性があると見なされる態度、価値観、行動のパターンを指します。
 しかし、ソシオパシーは、それを作り出した社会環境やサブカルチャーの下では普通であり必要なものだと見なされています。ソシオパスは十分に発達した良心を備え、共感、罪の意識、忠誠心を普通に感じる能力をもっているかもしれませんが、善悪の判断が、自分が育ったサブカルチャーやグループの規範や期待にもとづいてなされるのです

 

 簡単に言えば、周囲に合わせてコロコロ意見や態度を変える人間、ということでしょうか。よくいますよね。そういうお調子者は。そういう人はそのときどきに自分が属しているグループ内部では愛想が良くて「魅力的」に見えることもあるけど、個々のグループから離れて全体として見ると行動や言動に首尾一貫性ながなく、結局信用を失ってしまいます。

 ただソシオパシーはたんにお調子者というよりは、そもそも中身が空っぽというか、「自分」がない人なのでしょう。

 だとすると、ハンスの「共感」も条件付きで、そのときどきに周りにいる人間に対してのその場限りの共感でしかない。つまり、周囲の人間の感情や願望を反映してるに過ぎない。だったら「共感」と言うよりは「反射」と言った方がやっぱりいいかもしれません。

 ただそれだけでなく、ハンスは物語全体のモチーフを照らし出す鏡の役割もしているように思います。つまりハンスの行動を手がかりにすると、この物語が本当に伝えたいことがよりはっきりと浮かび上がるような気がします。
 

 

スポンサーリンク

 

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.

Azu

コトダマの里の広報・お客様窓口担当です。お客様からのお問い合わせはわたしが承りますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)