東の野に炎の立つ見えて

東の野に炎の立つ見えて(NipponArchives

東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ 柿本人麻呂(万葉集1・48)


 この歌は、「軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題されたいわゆる「安騎野遊猟歌」(万葉集1・45~49)の中の一つである。人麻呂の代表作の一つで、高岡市万葉歴史館(前)館長の小野寛氏によれば「近世から現代に至る多くの万葉集秀歌選の集計をしたところ、人麻呂の歌で最も多く選ばれている」(*1)ものだそうである。

“挽歌詩人”人麻呂

 当然、学校の教科書にも登場する。ちなみに「教科書的雰囲気」は以下のビデオで味わえるだろう。

[万葉集] 01-0048 東の 野に炎の 立つ見えて・・・(NipponArchives)

 ただわたしは正直に言って、学校で勉強したときにはこの歌のどこが名歌なのかさっぱり理解できなかった。正確に言うと、受験対策的な「学習」はできても「理解」はできなかった。たぶんほとんどの人はそうじゃないかとにらんでいる。

 しかし、他人が名作だと言うから自分も名作だと思うのは浅はかだが、他人が名作だと言っているのに顧みないのもつまらない。ともかく、とりあえず理解してみようという気になるのが芸術作品を鑑賞するコツではなかろうか。少なくともわたしは、そのような気になったおかげで「生きていて良かった」と思えるようなものに出会えたのである。

 ところで、人麻呂の歌はしばしば謎解きの関心対象となる。すなわち、そこには人麻呂の出生や経歴や死の秘密、あるいは古代社会の制度や文化の謎を解き明かす鍵が隠されていて、それが歌の言葉や比喩の中に暗号として組み込まれているのだ、という類いのものである。

 ただそもそも、古代の文物はおおむねそのような関心の対象になる。わたしも「マヤ文字」の謎解きにはとても興味がある。また教育上は、謎解きの興味関心で惹き付ける手は人生経験の少ない子どもに対しては重要で効果的だろう。

 じっさいのところ、人麻呂は宮廷歌人として宮廷の祭式における儀礼的・呪術的な伝統に通釈しており、自分の詩歌の公的もしくは政治的な機能と役割を十分自覚している。その意味で、人麻呂の詩歌に暗号的な側面があることはある意味で当然である。

 ただ、詩歌の言葉や比喩には単純に「事実(真実)」を暗示する暗号的な機能とは異なる独特の機能がある。したがって、それを史実的な謎にのみ結びつけるのは、この歌の鑑賞の焦点からはズレることである。人麻呂はなにもこの和歌を暗号文として作ったわけではないだろう。

 ともかく、この歌を理解するために歌の背景を知ることにはたしかに意味がある。以降しばらく、人麻呂は「挽歌詩人」だという西郷信綱の洞察(*2)を導きの糸としてそれをつまびらかにしていきたい。ただ、以下は論文でも何でもなく、世に数多くある「わたしはこう読んだ」というものの一つに過ぎない。それにもかかわらず参考になることが多少なりともあれば幸いである。
 

天武天皇の殯宮儀礼における「誄」と「発哀」

 殯(もがり)とは、現代における通夜に相当する。すなわち、死者を本葬するまでの間、遺体を棺に納めて喪屋内に安置または仮埋葬をして、死者を慰霊する儀式儀礼のことである。

 「安騎野遊猟歌」に登場する軽皇子(文武天皇)の祖父である天武天皇の殯はなんと2年2ヶ月に及んだ。そのあいだ、殯宮を建立して次から次へと慰霊と追悼の儀式を行う。

 この殯宮儀礼において重要な要素は、天皇の業績と功徳を賛美する「誄」(しのびごと)と、天皇の死を哭泣して嘆き哀しむ「発哀(発哭)」(みね)である。

 ただし、殯宮儀礼は本来的に原始社会の呪術的祭式の風習を受け継ぐものであり、その主旨は自然と人間を包摂する霊的共同体の中で神々の居所に無事送り届けることである。そしてそのための呪文が「誄」であった。

 中央集権的な天皇制を確立した天武天皇の壮大な葬儀は、したがって日本古来の葬儀文化の一つの頂点を示すものだった。しかしそれと同時に、それは一つの転換点でもあった。すなわち山折哲雄によれば、それは日本で初めて本格的に仏教的な要素が取り入れられた葬儀でもあったのである。そしてそれを端的に表しているのが、僧尼により執り行われた「発哀」である(*3)。

 ただし他方、西郷信綱によれば、「発哀」は葬儀における女性的な要素を表すものもであった。すなわち、「男は狩猟、女は採集」といった性別役割は、古くから社会・文化の隅々を規定していた。原始社会の葬儀においても儀礼として男の役割と女の役割があり、男は故人を英雄として褒め称え、女は故人の喪失を嘆き悲しむという役割を担ったと推測される。そしてそれが「誄」と「発哀」の儀礼として受け継がれ、 様式化されたということである。

 そして西郷によれば、「誄」と「発哀」の殯宮儀礼が、それぞれ万葉集の世界における叙事詩的(インパーソナル・公的)挽歌叙情的(パーソナル・私的)挽歌の系列と呼応している、ということである。

 宮廷歌人を代表する人麻呂が、その役割期待からして「誄」の伝統を継承――正確には、換骨奪胎――していることは言うまでもない。他の挽歌に比べて人麻呂の挽歌が一見したところとりわけ「儀式的」なのもそのせいだろう。しかし人麻呂に特異なポジションは、そこにはない。

 その特異なポジションとはどのようなものか。それを考える前に、天武天皇の葬儀は皇后である次の持統天皇の意向が大きく反映されたものであり、持統天皇自身の葬儀は初めて仏教式の火葬で行われたこと、人麻呂がまさしく持統天皇と共に生きた歌人であったことをとりあえず注記しておきたい。


  1. 小野寛「万葉集の名歌の真実―柿本人麻呂の歌」(『東京西北ロータリークラブ卓話』,2010.3)
  2. 西郷信綱『増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味』(未来社,1994)
  3. 山折哲雄『死の民俗学―日本人の死生観と葬送儀礼』(岩波現代文庫,2002)

 

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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