石見の荒磯と山の歌

石見の荒磯と山の歌
(出典:西日本万葉の旅(JR西日本)

 「言霊と和歌のつながり」を解き明かすための伏線として、前回は「ライトノベル」を引き合いに出した。今回はもう一本の伏線として、先日の記事でAzuさんが取り上げた「ミュージカル」を引き合いに出したい。(伏線ばかりにならないように気をつけたいが。)

 Azuさんは「感情表現のアート」という点では歌舞伎もミュージカルも同じだと述べている。これは正しいと思うが、ただそもそも芸術一般が多かれ少なかれ「感情表現のアート」である。また、「エモーショナルでドラマティックな感情表現」がミュージカルに固有の特徴なわけでもない。

見えないものを見えるように伝える

 1400年以上昔の日本最古の芸術にも「エモーショナルでドラマティックな感情表現」の卓抜した作品はたくさん見つかる。例えば、柿本人麻呂の万葉集の次の一句。これは人麻呂が石見にあって妻の依羅娘子(よさみのおとめ)と別れるときに詠んだ長歌で、世に「石見相聞歌」と呼ばれて歌聖柿本人麻呂の代表作の一つと評されている。

石見(いはみ)の海(み) 角(つの)の浦廻(うらみ)を
浦(うら)なしと 人こそ見らめ
潟(かた)なしと 人こそ見らめ
よしゑやし 浦はなくとも
よしゑやし 潟はなくとも
鯨魚(いさな)取り 海辺を指して
和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に
か青く生ふる 玉藻沖つ藻
朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ
夕羽振る 波こそ来寄れ
波の共(むた) か寄りかく寄る
玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を
露霜の 置きてし来れば
この道の 八十隈(やそくま)ごとに
万(よろづ)たび かへり見すれど
いや遠に 里は離(さか)りぬ
いや高に 山も越え来ぬ
夏草の 思ひ萎(しな)えて
偲(しぬ)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡(なび)けこの山
(万葉集 巻2-0131)


石見の海の、角の海岸を、
よい入江などないと、人は見るだろうが、
よい干潟などないと、人は見るだろうが、
それでよい、たとえよい入江がなくても、
それでよい、たとえよい干潟がなくても、
この海辺を指して、
和田津の、岩場のあたりに、
青々とした、玉藻や沖の藻を、
朝に鳥が羽ばたくように、風が吹き寄せ、
夕べに鳥が羽ばたくように、波が打ち寄せ、
波と共に、寄せつ離れつ揺らぐ、
美しい藻のように、寄り添って寝た妻を、
露霜が置くように、角の里に置いてきたので、
この道の曲がり角、曲がり角ごとに、
幾度も幾度も、振り返って見るけれど、
いよいよ遠く、妻のいる里は離れてしまった。
いよいよ高く、山も越えて来てしまった。
夏草が、日差しを受けて萎れるように、
思い嘆いて私を慕っているだろう、
その妻のいる家の門を遙かに見たい。
なびき去れ、この山よ。

 
 歌は、石見の海の情景描写から始まる。

 「浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも」の箇所が描出しようとしているのは、他の人がどのように見ようとも自分にとってはかけがえのない海なのだ、という主観的な心象風景である。

 この心象風景は、森進一の「襟裳岬」を彷彿させる。

 あの歌は、襟裳の春を「何もない」春だと歌っている。たしかに、見えるところには人一人いない寂寂たる海辺の景色が広がるばかりである。しかし、他人には「何もない」ように見えるかもしれないが、自分にとってはかけがえのない「思い出」がある。

 「襟裳岬」は心の中にある故郷への憧憬を歌ったものだが、人麻呂の歌に出てくるということはそれはおそらく人間にとって普遍的な心情なのである。

 そしてその思い出の美しさを、岸辺で波と共に揺らぐ藻に喩えて表現している。「朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共 か寄りかく寄る 玉藻なす」の言葉の連なりはまるで印象派の絵画のように感性溢れる筆さばきだ(人麻呂お気に入りの表現でもあった)。

 そしてそれが「寄り寝し妹」にかかってくる。ここに至って、そこまでの情景描写がすべてこの「寄り寝し妹」を引き出すためのものであることが分かる。つまり、長歌の前半がすべて妻を形容するために費やされているのである。

 石見の海の寂寞とした情景から磯にたゆたう玉藻の情景を切り出し、そこに「か寄りかく寄る」妻の艶姿をオーバーラップさせるのはまさに「映画的」である。しかもそれを人麻呂オハコの枕詞を入れて吟唱の様式美の中で表現しているあたりは「音楽的」ですらある。

 ただそれが鼻白むように「技巧的」に映らないのは、他人には「見えないもの」でしかない妻との「喩えようもなく美しい思い出」をあたかも「見えるもの」であるかのように言葉を尽くして伝えようとする人麻呂の気持ちが読む人に伝わるからである。
 

「言霊」の行くべき方向を示唆する記念碑的作品

 しかし「露霜の 置きてし来れば」から情景は一転する。

 今度は妻の居る家から遠く離れた峻隘な山道で、美しい思い出から厳しい現実へ引き戻される。石見から京へのこの旅路は、永遠の別離を覚悟しての道のりであろう。(自分の死(刑死)を覚悟していたとの説(梅原猛説)もある。)

 「万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ」で「喩えようもなく悲しい」自らの心の内を表そうとしている。

 そして最後に、「夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山」と絶唱する。これは、「心の叫び」「魂の叫び」である。あるいはAzuさんの言葉を借りれば、「タマシイのぶっ放し」でもある。

 この最後の命令形の結句は、もちろん神霊に依る言霊(コトダマ)の伝統の中にいるから出ていたものであろう。ただ後世の人は、そこに神の霊威を感じてこの詩句を選び詠んだであろうか。

 そんなことはあるまい。そこに感じられるのは人麻呂の魂である。「靡けこの山」と叫ばざるをえなかった人麻呂の心の思いである。

 「言霊」の行くべき方向を示唆する記念碑的な名歌であると思う。
 

 以上のように、この長歌の「エモーショナルでドラマティック」な構成はオペラやミュージカルに類比することができる。すなわち、「エモーショナルでドラマティック」という分析軸で諸々のアートを座標に位置づけるならば、他の数多くの和歌よりもディズニーの『アンと雪の女王』の主題歌「Let It Go」に案外近いかもしれない。

 

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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