photo credit: Luke,Ma via photopin cc

photo credit: Luke,Ma via photopin cc

 前回の「言霊とは何か(2)~言霊の幸はふ国」で引用したが、西郷信綱『増補 詩の発生―文学における原始・古代の意味』(未来社)は、「言霊とは何か」を考える上で決定的に重要な本である。ゆえにコトダマの里にとってもその礎石となる重要な本である。その意味で「コトダマとは」のところで解説すべきかもしれないが、一方で場違いな気もするので差し控えている。

言霊の社会科学的考察

 この本は一般向けの本ではなく、学術書・専門書である。分野としては国文学に属すると思うが、考察の視点が文学というよりは「社会科学」もしくは「社会学」に近い点がユニークである。すなわち、「詩」(または「文学」)の歴史的成立の原因と背景を社会科学的に解明しようというスタンスがうかがえる。

 本書は表題の通り「詩の発生」という壮大なテーマを掲げてはいるが、論文集なので必ずしも全体が体系的に論理構成されているわけではない。そうではあるが、日本における「詩」の伝統、そしてその原点に位置している「和歌」の伝統の「原因と背景」を理解するためには十分な論理素材がそこには含まれている。そしてそのなかに、「言霊」(コトダマ)に関する議論も含まれている。

 さて、「言霊とは何か」というテーマとの関連で本書の議論のエッセンスを誤解(誤読?)を恐れず大胆に要約すれば、次のようになる。

  • 「文学」の源泉は、「詩」である。
  • 「詩」の源泉は、(原始的な)「祭」とそこでの(魔術的な)「呪文」である。
  • 「祭」および「呪文」は、「人間」と(その外的および内的な)「自然」との対立を「克服」し、それとの「調和」(ないし「和解」)を幻想的にシミュレーション(再現)する社会的(共同体的)行為である。
  • 「人間と自然の調和の幻想的なシミュレーション」のための鍵となるのが、(音声的な)「リズム」である。
  • (音声的な)「リズム」は人間の内的・外的な「自然」と呼応するものであり、「祭」および「呪文」に組み込まれて「人間と自然の調和」を幻想的にシミュレーションするための鍵となる。
  • 「言霊」(コトダマ)の抽象的観念は、「呪文」のもつ「人間と自然の調和」を幻想的にシミュレーションする機能に由来する。
  • 「祭」および「呪文」を源泉とする「詩」は、日本では「和歌」の芸術的伝統として結実した。
  • したがって、「和歌」の芸術的伝統と「言霊」の抽象的観念はその源泉において強く結びついている。

 
 以降、しばらくこのエッセンスを噛み砕いて咀嚼していこうと思う。
 

中国には「漢字」があるが日本には「言霊」がある

 コトダマとは、いうまでもなく言語精霊という意味だ。タマ(魂)は記紀にイナダマ(稲魂)、クニダマ(国魂)などと使われ、ヲロチ、イカヅチなどのチとほぼ同様、低位の原始霊力をさす古語である。もっとも、タマとチの系統の異同、あるいはそれの代表する層位の異同については問題は残ると思うが、言語に精霊がひそみ、その力によって事物や過程がことば通りに実現するのを期待する考えが古くから行われていたことはまちがいない。コトダマを「事霊」とかいた例があるのなども、言=事という魔術等式が生きていたしるしである。

 
 ところが、言霊(コトダマ)という言葉は、記紀でも祝詞でもなく、万葉集に初出する。例の山上憶良の好去好来の歌である。「神代より 言ひ伝(つ)てけらく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり……」

 ただ、言霊(コトダマ)として概念化されるような思考様式そのものは、それ以前から人びとの日常的世界観の中に成立していたと当然に考えられる。つまり万葉時代にこの歌が詠まれた局面において、それがことさら「言霊」として反省的に自覚されたのである。

 その自覚を促した契機は何か。それは、この好去好来の歌が憶良が遣唐使に贈った歌であるという文脈を鑑みれば自ずと予想される。

 古語拾遺にいうように、固有の文字をもたず、ついさきごろまで前言往行を口々に相伝えてきた、そうして、漢字の輸入とともにようやく未開の段階から文明の段階によじのぼってきた若い民族が、海のかなたの文字的文化のケンランたる巨大な国にたいし抱いたであろう烈しい憧憬の念の、いわば反対項として、「言霊の幸はふ国」という意識はよびさまされたと見てさしつかえない。

 
 「そっちにはたいそう立派な『漢字』があるかもしれないが、こっちにだって『言霊』があるぞ!」という感覚だろうか。
 

祭式における「自然との対立の克服と和解」を演出する言霊

 ただ、後の国学者たちがこの素朴な感覚を「日本語そのものの優秀性の自覚」であるかのように理念化(イデオロギー化)したのは「神がかりであり、学問的逸脱」であると西郷は指摘する。

 つまり、好去好来の歌に単純に即して読むならば、言霊が寓(よ)るのはある特定の詞章であり、この詞章の通りに神々のご加護によって無事に行って帰ってこれるはずだから「言霊の幸はふ国」で良かった良かった、という気持ちがそこに込められている。

 遣唐船を造るときには山の神を祭り、遣唐使を送るときには住吉の神に奉幣したり祝詞をあげたりしたわけで、こうした祭式の文脈の中にさしあたり言霊は位置していたのである。

 制度化や組織化の程度はあれ、古代においても言語における聖と俗、祭式の言語と日常の言語の区別はあった。そのさい祭式とは、荒ぶる自然――内なる自然と外なる自然――に対して無力で惨めな人間共同体が、自然に対する支配力をものにし、あるいは自然と和解する仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)を儀式的に演出する共同体的行為である。

 そして祭式の言語は、その「儀式的演出」の中核的要素である。そこでは、神々の力を借りた言葉通りに「自然との対立の克服と和解」が実現する。端的に言えば、豊穣と平和が実現する。言は事となり、名は実となり、イメージはオブジェクトとなる。

 とにかく言霊は日本語そのものではなく、神々に関する詞章、並びにその伝統をうけついだものとしての歌のなかに寓ると考えられていたのはまちがいない。ここにあげる余裕はないが、平安朝になっての資料でも「言霊という語の用例が悉く歌に関連して現れている」ことが指摘されているのは、万葉人の言霊観念の内容を知る上に有力な視点となる。かりに主観的な信仰にすぎないにせよ、もし日本語そのものに霊力がひそみかくれていたりした日には、ことばは本来の伝達機能を失い、あまりおめでたくて生活は意味をなくしてしまうか、ことばが物の怪のように荒れ狂い生活を破壊してしまうかした筈であった。

 
 つまり西郷によれば、この言霊を祭式から芸術へと受け継いだのが「和歌」である。となると、なぜ「和歌」が、という問いが次に浮かんでくる。これについては、また次回。

 

スポンサーリンク

 

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.
『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)