ピースハウス病院

Photo via Nurse Park

日野原重明氏肝いりのホスピス、休止へ 定額制で経営難

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏の肝いりでできた日本初の完全独立型ホスピス「ピースハウス病院」(神奈川県中井町、21床)が、今月31日で休止することがわかった。日本での草分けとされるホスピスの休止に、関係者も衝撃を受けている。

 同病院は、他の診療科を持たず、がん患者らの心身の痛みを和らげる緩和ケアのみを行う「完全独立型」のホスピス。1993年、約6億円の寄付を受けるなどして開設された。

 関係者によると、同病院は厳しい経営状況が続いていたという。ホスピスは、入院料が定額制のため、手厚い医療行為をすると、利益が出ないこともあるという。関係者は「独立型は、一般病棟で利益を上げることができないので経営は厳しい」と明かす。

望ましい終末期の理想と現実

 広い意味での「ホスピス」(緩和ケア)を提供する形態としては、以下のような種類がある。

  1. 緩和ケア病棟型
    1. 院内病棟型
      病院内の一病棟としてホスピス・緩和ケア病棟を持つ。
    2. 院内独立型
      病院の敷地内に、独立した建物としてホスピス・緩和ケア病棟を持つ。
    3. 完全独立型
      ホスピス・緩和ケアのみを行う独立した建物でケアを提供する。
  2. 緩和ケアチーム型
    病院内に緩和ケアを行うための専門スタッフがいて、主治医とは別に緩和ケアを行う。
  3. 在宅緩和ケア型
    主として在宅で緩和ケアを行う。
 

 聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏が理事長を務める財団法人が運営する「ピースハウス病院」は、1993年に日本最初の独立型ホスピスであり、3700人以上の患者を受け入れてきたが、今年三月末で休止することになった。

 新聞記事によると、完全独立型のホスピスは院内型に比べて一般病棟で利益を上げることができないので経営は厳しい、とのことである。

 ただ、もともとピースハウス病院は6億円余りの多額の寄付によって設立され、また運営も多くのボランティアスタッフに支えられていて「非営利団体」の色彩が濃い。そして根本的には、望ましい終末期医療についての日野氏の理念と熱意に支えられていたのだろう。

 ただその「望ましい終末期医療」の実現には、それを提供する側にも、またそれを受ける側にも多大なコスト(費用)がかかる、という厳しい現実があることを今回のサービス休止は示唆している。

 しかしそれは、「質の良いサービスにはお金がかかる」というありきたりの一般論に留まらない、ホスピス特有の問題もいろいろはらんでいたであろう。

 とくにもっとも根本的には、「望ましい終末期(医療)」、あるいは「望ましい死の迎え方」の理念をどのように作り上げるか、ということについての心理的、社会的、文化的な問題があると思う。

 つまりホスピスは、本来的には、「望ましい終末期」について本人にある程度理念ないし信念があり、そのもとでホスピスという一つの選択肢が主体的に選択され、そのうえでその「望ましい終末期」のための最善のサービスと環境がホスピスから提供される、というものだと思う。

 もちろん、サービスを提供する側もたんなる受け身ではなく、そこには「望ましい終末期」について本人との相互作用のなかでいわば一緒に作り上げていくプロセスもあるだろう。しかしそうは言っても、当の本人にある程度理念や信念の「軸」がないと、そもそも何が望ましいサービスや環境なのか定まらない。

 そうすると、そこに無駄な労力やコストがかかってしまう。

 

何が望ましいかは結局は本人次第

 じつはこのことは、田口ランディ氏の父親の看取りの体験談に示唆されている。少し長くなるが、引用してみる。

 あの陰うつな病棟から一歩も出ることなく亡くなっていった母が不敏でした。だから、父の時はせめて……と思ったのです。ピースハウスは、柳原さんが入院していた聖路加国際病院と同系列の独立型ホスピスでした。聖路加よりもさらにグレードアップした「ひと足お先の天国」のような場所でした。

 大きな窓から燦々と太陽の光が差し込みます。庭には冬でもシクラメンなどのきれいな花が咲いています。たくさんのボランティアの方たちが、話し相手になってくれます。看護師さんも、医師も、家族の話をとことん聞いてくれます。ソファなどの家具や調度品も立派で、オーディオルームや読書コーナーもありました。ここで死ねれば本望だろう……と、看取る側の人間である私は思ったのです。でも、死んでいく父は、この場所があまり好きではないようでした。

 父は、自分が末期がんであることを拒否し、がん告知されたことすら忘れてしまっていました。そんなに生きる気力満々の人が、ホスピスに入ったらどうなると思いますか?

 転院してすぐに父から電話がかかってきました。

 「おい、この病院はなんかおかしいぞ、毎日、人が死ぬんだ」

 父は恐ろしそうに声をひそめてそう言ったのです。

 毎日、人が死ぬ。

 それはそうでしょう……だって、ホスピスなのだから。

 私は絶句しました。ホスピスでは毎日、人が死んでいく。この当たり前の現実が私の頭からは抜けていたように思います。

 「昨日も、今日も、同じ部屋の人が死んだんだぞ、死にすぎるだろう……。なんか変だ。この病院は、よくないことをやってるんじゃないか?」

 …(中略)…

 ホスピスにいるのに、ホスピスだと思っていない父にとって、この病院は「人がどんどん死ぬ奇妙な場所」でした。みんな優しいし、対応はていねいだけれど、まわりの人間が自分を「これから死ぬ人」として接していることが、父にはわかったのです。

 …(中略)…

 そうこうしているうちに、父はだんだんうつになってきました。顔から笑みが消えて、じーっとベッドに座ったまま何時間もうつむいていました。夜になっても眠らず、ロダンの彫刻「考える人」のような姿勢でうつむいているのです。そういう父の傍らで私と娘は黙って一緒に座っていました。そばにいることしかできませんでした。父は必死で何かと戦っているみたいでした。何と戦っているのか……、私にはわかりませんでした。

 …(中略)…

 ピースハウスはすばらしいホスピスでした。看護師さん、院長先生、チャプレン、ボランティアの方々に、父は本当にお世話になりました。私たち家族も励まされ、このホスピスへの不満はありません。終末期の方たちに寄り添い最期の時間を穏やかに過ごせるように、みんなが心を尽くしていました。面接の時は、家族が納得するまで話を聞いてくれました。こんな病院は他にありませんでした。家族にとっては本当にありがたいホスピスでした。

 でも、父がここに来るのは早すぎました。そう思うのです。

 もし、ホスピスでもなく、緩和ケア病棟でもなく、もっと自由な場所で、ふつうに暮らすことができたら……、父はもう少し長く生きたのではないか……と、そんなことを感じました。ホスピスに入るのは死ぬ前の1週間でいいんじゃないか……と、私は思いました。

 

 しかしその一方で、本人と病院の相互作用がうまくマッチすれば、予想外に長期的に良好な関係のもとで心穏やかに終末を迎えることができる。

 とはいえ、田口氏の父親は極端な事例かもしれないが、おそらく「望ましい終末期」についてのすれ違いは大なり小なり常に生じていたと思う。

 死というものを受け入れるのはそう簡単なことではない。理想的には本人、家族、医療従事者、そして社会のあいだの相互作用のなかで、いざそのときまでにある程度準備が整えられているべできだろう。

 ピースハウス病院は、こうした理想を一身に背負わされて過剰な負担になってしまっていたのではないか、と思う。

 日野氏をはじめスタッフの方々には「ご苦労様でした」と心から慰労したい。

スポンサーリンク

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.
『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)