photo credit: Nettie Knits1 via photopin cc

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 「言霊」(ことだま)という言葉が日本の文献で最初に登場するのは『万葉集』で、有名な「言霊の幸はふ国」のフレーズとして山上憶良の「好去好来の歌」の冒頭に出てくる。

 神代(かむよ)より 言い伝て来らく そらみつ 倭国(やまとのくに)は 皇神(すめかみ)の厳しき国 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ 言い継かひけり 今の世の 人もことごと 目の当たりに 見たり知りたり……(『万葉集』八九四)

 神代からの言い伝えとして「(そらみつ)大和の国は、神々の(霊威の)いかめしい国であり、言霊(ことだま)が幸いをもたらす国である」と語り伝えてきた。(そのことは)今の世の人もみな、まのあたりにしているし、知っている……(佐佐木隆『言霊とは何か 古代日本人の信仰を読み解く』(中公新書)10頁)

言霊とナショナリズム

 この歌の意味について、渡部昇一氏は次のように説明している。「皇神の厳しき国とは、皇室及び神社のゆるぎない国という意味。言霊のさきおう国とは、言霊信仰があって、大文学でも外来語は要りませんよという意味である。」(渡部昇一『皇室入門(マンガ入門シリーズ)』飛鳥新社)

 たしかに日本の言語的伝統を表すのにこれ以上に美しい表現はないと言っても言い過ぎではないだろう。

 その一方で、これが遣唐使を送り出すときの長歌であることを鑑みれば、隣の巨大な中国に対するナショナリズム意識の萌芽をそこに見出すこともできる。そのさい、中国の長大な文字的文化の伝統に対して日本の言語文化に固有の特徴が「言霊」として表現され、そこにナショナリズム意識が付託された、という解説もある。「海のかなたの文字的文化のケンランたる巨大な国にたいし抱いたであろう烈しい憧憬の念の、いわば反対項として、『言霊の幸はふ国』という意識はよびさまされた」(西郷信綱『詩の発生―文学における原始・古代の意味(増補版)』未来社)。

 そして、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤ら近世の国学者たちによって、その「日本の言語文化に特有の特徴」として日本の「音声的文化」がクローズアップされ、そこから「五十音」を神聖化する「言霊学」(言霊思想)が生まれてくる。(川村湊『言霊と他界』講談社学術文庫)

 かくして、日本語の言語体系そのものに内在する神聖な秩序とその「霊力」を指し示すものとしての「言霊」が概念化され、それが現在の「言葉の持つ霊力」という辞書的意味に引き継がれていくのである。

 

アニミズムから皇神へ

 ところで、佐佐木隆『言霊とは何か 古代日本人の信仰を読み解く』(中公新書)は、『万葉集』『古事記』『日本書紀』などの古典文学・歴史書を今一度検証し直すことを通じて、これらの文献における本来の「言霊」の意味と近世の国学者たちがそれを換骨奪胎して形而上学的・神秘主義的に練り上げた「言霊学」との乖離を浮き彫りにする試みである。

 すなわち結論から言えば、本書の主張の骨子は、「言霊」という概念で本来意味されていた「言葉が持つ霊力」とは、人間の発する言葉そのものに備わる「霊力」ではなく、その言葉を聞き入れた神の持つ「霊力」である、ということである。そして、近世の国学者たちによってこの神との関係が背景に押しやられ、あたかも言葉そのものが霊力をもつかのような解釈がなされ、以降それが定説となった、としている。

 結局、ことばの威力に限らず、現実の世界に変化をもたらすことができるのは神の霊力だけだ、言霊は神に属するものだというのが、古代日本人の考え方だったようである。(同書、p.220)

 神だけに属するものだったことばの威力に対する理解が、近世には、人間の発する言葉にまで拡張され、さらにまた、ことばそのものに霊力がやどるという解釈にまで拡張されることになったのである。(同書、p.225)

 
 正確に言えば、自然の諸々の実在に精霊(霊魂)が宿るとする原始的なアニミズムの一環として人間の発する言葉にも精霊が宿ると信じられていた前史時代はあったかもしれないが、『古事記』などの文献が著されるようになる時代にはすでにそうしたアニミズムから脱していた、ということである。

 ところで、「言霊」はあくまで神と人とのコミュニケーションに祭式言語において想定されていたもので、人と人との日常言語にまで拡張されて想定されていたものではなかった、ということは上述の西郷でも指摘されていることなので、佐佐木の議論はひとまず受け入れられる。

 その一方で、神(皇神)の威力“だけ”が言霊として指し示されていたと言い切れるだろうか、という疑問も残る。つまり例えば、「原始的なアニミズム」という文化的背景を抜きにして山上憶良が「言霊の幸はふ国」と表現できた、という積極的な論証は本書ではなされていない。この点は重要な論点のように思えるので、後で改めて検討したい。

 

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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