Social Media(Forbes)

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SNS「終活」のススメ 投稿文・写真、死後どうする?

 総務省によると、70歳代の半数近くがインターネットを利用する。家族が死亡した場合、残された遺族はどんな手続きをすればいいのか。短文投稿サイトのツイッターは家族か遺産管理人からの要請に基づいてアカウントを削除する。その際、利用者の死亡証明書、申請者の身分証明書、申請者が故人の家族か遺産管理人であることを証明する署名付きの公証文を郵送またはファクスで提出する必要がある。

 第三者のなりすましを防ぐため、手続きはかなり煩雑だ。ツイッターも毎年の申請件数は非公開としているが、担当者は「件数はあまり多くないもようだ」としている。ほとんどそのまま放置されているのが実情だ。

 死亡した人のSNSが公開され続けるケースが多いのが現状だが、いまのところ、それが大きなトラブルに発展したという話はあまり聞かない。だが第三者がパスワードを不正入手し、本人になりすまして詐欺を働くなどの可能性もある。もしものときにデータをどうするか。家族に意向を伝えておくと同時に、パスワード管理もしっかりしておきたい。

近年クローズアップされている「デジタル資産管理」の問題

 ブログ、フェイスブック、ツイッター、動画共有サイトなどSNS(ソーシャルネットワークサービス)またはソーシャルメディアで個人が公開した記事、文芸作品、写真、動画、音楽などのデジタル・コンテンツに関して当人が死亡した場合にどうするか、ということは近年たびたび議論されるようになってきている。最近は「遺産相続」や「終活」の文脈でも取り上げられようになってきた。

 この問題は広い意味での「デジタル資産管理」の問題であるが、現状ではそれぞれのインターネット・サービスの規約に委ねられているところが大きく、「所有権」や「著作権」のような一般的、普遍的概念のもとで制度化されるところまでは至っていない。

 ただ議論をざっと見てみると、どうも技術的、形式的、あるいはビジネス的な事柄に関心が向かいがちで、もっと根本的な―とわたしには思われる―問いが閑却されているように思える。

 現実を見ると、「放置されたコンテンツ」はインターネット上に無数にある。長い間更新されていないホームページやブログ、スパム・コメントで荒れ放題の掲示板、もはや誰にも見られていない動画など、インターネットで何かを検索すればそうしたコンテンツに出くわさないことがないほど至る所にある。

 それらの大半はたんに更新や削除が面倒くさくて放置されているだけだろうが、なかにはコンテンツの所有者(管理者)が死亡または行方不明というものも少なくないだろう。インターネットが本格的に普及し始めたのはじつは今世紀に入ってからであることを考慮すると、こうしたケースは今後急増することが予想される。

 ところで、たいがいのコンテンツは何らかのインターネット・サービスのアカウント(ID)に紐付けられている。したがって、コンテンツ管理の問題はアカウント管理の問題がベースにある。
 さて、アカウントの所有者(管理者)が死亡した場合に、どのような問題が生じるであろうか。

 

「セキュリティ」と「プライバシー」の問題

 まず、「社会」の側から見ると、「セキュリティ」の問題がある。つまり、アカウントの所有者が死亡することで管理者不在となり、放置状態となることで、そのアカウントがクラッカーの標的にされたり、サーバー攻撃の拠点にされたりする危険がある。これはたしかに社会的には大きな問題であるが、本来この問題はアカウント所有者の生死の問題とは別次元のより一般的なアカウント管理の問題である。この問題に関しては、何年もログインされていないアカウントはサービスプロバイダーが削除ないし凍結するなど、規約上の事務的な対応を整備すれば済む話だと思われる。

 次に、「自己」、すなわち“残す”側から見ると、「プライバシー」の問題がある。これはさしあたりフェイスブックなど実名で登録されているアカウントで問題になると思われるが、自分のプライバシーに関連する情報やコンテンツが自分の死後も公開されたままになるのは嫌な気分がする人は多いであろう。どのような情報・コンテンツを公開/非公開にするかは自分が生きている間はその都度コントロールできるが、死んでしまえばそれは不可能である。上述のセキュリティの問題とも関連してくるが、セキュリティーの甘いサービスプロバイダー(サーバー)だとアカウントが放置された状態ではいつ何時乗っ取られて非公開情報がさらされてしまうとも限らない。

 また匿名登録のアカウントであっても死後乗っ取られて実際に所有してた実在の人物が特定されることもありうる。死んでしまったらプライバシーもへったくれもない、と思う向きもあるかもしれないが、当人だけの問題ではない。非公開情報や匿名情報が明らかになって残された遺族や知人・友人に迷惑が及ぶこともありうる。

 こうしたことを考え合わせると、いずれにしてもアカウント所有者の死亡後に管理者不在状態で放置されるのは決して良いことではない。遺族またはサービスプロバイダーが責任をもって管理する仕組みは必要である。

 

コンテンツ(アカウント)の「人格的価値」

 ところで、「他者」、すなわち“残される”側から見ると、もう少し違う様相が見えてくる。

 どんなコンテンツであっても、多かれ少なかれ「価値」をもつ。(ただしプラスの価値ばかりでなくマイナスの価値もあるが。)それは「自分」にとっての価値もあるだろうし、「他者」にとっての価値もあるだろう。自分にとっての価値としては「自己表現的価値」や「自己満足的価値」などがあるだろうし、他者にとっての価値としては「情報的価値」や「知識的価値」や「文化的価値」などがあるだろう。

 したがって他者(残される側)から見ると、まずさしあたってはコンテンツの情報的・知識的・文化的価値が「資産価値」をもつと言える。それゆえそれは技術的にも制度的にも適切に保存・保全されてしかるべきである。ただしそのコンテンツの経済的な意味での「資産価値」は、おそらく一般的には考慮するに足らない微々たるものだろう。(もしそれが考慮に値するほどのものであれば、そもそも所有者の生前からコンテンツ(アカウント)管理・継承の仕組みができているはずである。)

 しかしここで注目したいのは、コンテンツ(アカウント)の「人格的価値」である。すなわちここで「人格的価値」とは、そのコンテンツ(アカウント)がその所有者の「パーソナリティ(人格)」を表現し、体現しているがゆえにもつ価値である。

 そしてそれは、そのアカウントが実名であるか匿名(ニックネーム)であるかを問わない。もちろん匿名のアカウントの場合は、いわゆる“捨てアカ”、すなわち一時的でご都合主義的なアカウントも無数にある。しかし場合によっては匿名アカウントの方が、ある独特の意味で重要な「人格的価値」をもつこともある。

 というのも、わたしたちは一般に、社会人としては、職業を通じて社会と関わりをもつ。そのときわたしたちは、社会から期待される職業的役割を“演じている”と言える。他方、家庭人としては、父親/母親/子ども、夫/妻などの続柄で家族と関わりをもつ。そのときわたしたちは、家族から期待される家庭的役割を“演じている”と言える。

 現代人にとっては、こうした職業的、家庭的役割から“解放”されて“自分らしさ”を表現し追求できる趣味、余暇、ボランティア活動などが自己の「パーソナリティ」の安定にとってとりわけ重要な意味をもつ。そしてインターネットはこうした趣味、余暇、ボランティア活動の“空間”を飛躍的に拡大したのである。

 

“ソーシャル”から離れては価値としては現れない

 今世界中の無数に多くの人が、さまざまなソーシャルメディアを通じて、自分が本当に言いたいこと、自分が本当に考えていること、自分が本当に作りたいもの、他人にはない自分に固有の「価値」を表現し、追求している。そしてそこでのアカウントは、その性格上、匿名アカウントの方が圧倒的に多いだろう。

 しかし匿名アカウントだからと言って、好き勝手にできるわけではない。ネット上で公開されている限りそれはやはり「ソーシャル(社会的)」な活動であり、そのコンテンツにアクセスし、コメントしたり、ツイートしたり、賞賛したり、批判したり、喧嘩したりする多くの他者との関わりのかで“ソーシャルに練り上げられた”コンテンツ(アカウント)である。

 そしてその結果として、そのコンテンツ(アカウント)はその所有者の「パーソナリティ(人格)」をもっともよく表現し、体現した、世界に無二の、個性的な「人格的価値」をもつに至ることも少なくないだろう。その場合その「人格的価値」は“誰か”にとってかけがえのないものであるだろう。ただしその“誰か”は必ずしもそのアカウントの所有者の家族(遺族)とは限らない。知人や友人とも限らない。むしろ、そのコンテンツ(アカウント)の“ファン”であることの方が多いだろう。

 要するに、ソーシャルメディア時代の「デジタル資産」とはまさしく「ソーシャル(社会的)」なものであり、その“ソーシャル”から離れては価値としては現れないような類いのものなのである。たしかにこのような価値は不動産や預貯金のような「経済資産」の価値と比べて曖昧で捉え所のないもので、形式ばった議論には馴染みにくいのでややもすれば過小評価されたり無視されたりしがちだが、むしろ人間や社会にとって本質的に重要な要素を含んでいるとわたしは思う。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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