2011年の「今年の漢字」“絆”(出典:SankeiBiz)

2011年の「今年の漢字」“絆”
(出典:SankeiBiz)

飛び降り自殺の中3女子、「動画中継」していた? 大手マスコミが詳細を報じないのはなぜか

 滋賀県近江八幡市のマンション敷地内で2013年11月24日未明、中学3年生の女子生徒(14)が倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡した。警察は自殺と見ている。インターネット上ではその直前にウエブサービス「FC2」で「飛び降りる様子」を動画配信していた少女と同一人物ではないか、と注目を集めている。

 このネット上の盛り上がりに反し、大手新聞各紙の記事はいずれも小さく内容も必要最低限にとどまっている。動画の女性と同一人物かどうかは現時点では分からないが、仮にそうだったとしてもマスコミは大きく扱えない理由がある。

 ……(中略)……

 実は、自殺報道については、過去に何度も過剰な報道による「連鎖自殺」が指摘されたこともあって、大手マスコミは「自主規制」のルールを設けている。

 ……(中略)……

 なお自殺報道を巡っては、WHO(世界保健機関)もメディア関係者に向けた手引きをまとめており、「自殺を、センセーショナルに扱わない」「自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない」「自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない」などと呼びかけている。

 滋賀県で先日飛び降り自殺した女子中学生が、自殺の様子を動画配信していたとネット上で騒がれている。ただこのことはネット上で騒がれてはいるが、マスコミではあまり大きくは扱われていない。J-CASTニュースの記事によると、マスコミは自殺に関しては「センセーショナルに扱わない」ように自主規制しているとのことである。

 たしかに、「連鎖自殺」や「後追い自殺」は実際にたびたび起きているので、自殺に関する報道を抑制的にすることは納得できる。ただネット時代の今ではマスコミが抑制的でもネット上であっという間に多くの情報が拡散してしまう。

 デマや憶測が混じるネット上の断片的な情報で軽々に議論するのは控えるべきだろう。ただ、表面的には「センセーショナル」ではあるが、根本的なところはこれまでの他の十代の自殺とあまり変わらないのではないかと思う。

 つまり、自分の「きずな(絆)」を実感できていれば、自殺には至らなかったのではないかと思う。

 「きずな」という言葉は、東日本大震災以来、盛んに口にされるようになった。しかし、これほど「言うは易し」な言葉はないとわたしは思う。

 わたしがこの「きずな」という言葉でいつも思い出すのは、ある殺人事件で一審で死刑判決を受けた受刑者のことである。

 この事件は凄惨極まりない凶悪殺人事件で、当時未成年であった受刑者Aは一審で異例の死刑判決を受け、世間は当然という反応だった。判決後に面会に訪れた母親に対してAは「交通事故にでも遭ったと思って、おれのことはあきらめてくれ」と投げやりな態度だったと言う。そのAの様子を見て、母親は「ばかなこと言うんじゃない。もしお前が死刑になるというなら、悪いけど、こっちが先に死なせてもらう」と言ったそうである。そしてAはその母親の言葉を聞いて初めて自分の犯した罪に正面から向き合い、生きることの意味を考えるようになったとのことである。

 

 世間の多くの人は、今さら遅いし、それで許されるものではないと思うだろう。わたしもそう思う。
 しかしここで取り上げたいのは、そういう世間や周囲の思いとまったく隔絶した母子の「つながり」である。つまり、世間や周囲がどう思おうが、どうしようもない、いかんともし難いほど強く結びついた「心のつながり」。
 「きずな」と呼ぶに値するのは、本来そのような「心のつながり」である。

 自分がそうした「きずな」につながれていることを実感しているならば、死にたくても死ねないだろう。「生きるしかない」「何とか生きよう」そう思うはずである。

 そしてまた、おそらく、リアルの世界でそうした「きずな」につながれていることを実感していると、ネットの世界で無視されたり罵詈雑言を浴びたりしても平気だろう。逆にそれを実感できないと、絶えず注目を浴びようと無理矢理目立つことをしようとするだろう。

 しかしいくらフォロワーが何千何万になっても、「いいね!」が何千何万ついても、それを「きずな」にかえることはできない。逆にそうしたネット上の「つながり」が増えれば増えるほど、「きずな」への渇望感はいっそう強まるだろう。

 ただ、たんなる推測でしかないが、自殺した女子中学生に本当はそうした「きずな」はあったのではないかと思う。もしそうだとすれば、それに気づいてもらえなかったのは残念としか言いようがない。
 彼女は自分の自殺をできるだけ「センセーショナル」に騒いでもらいたかったのかもしれない。その願望の空しさを思うとなおさら無念である。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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