photo credit: NatalieMaynor via photopin cc

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ペットの葬儀、多様化

 家族の大切な一員として、ともに暮らしたペットとも別れの時は来る。手厚く葬りたいという人が増え、葬儀は多様化している。

 1921(大正10)年からペットを供養する東京都府中市浅間町の「慈恵院」多摩犬猫霊園を訪ねた。境内を歩くと、愛犬を連れた参拝客や、涙をぬぐう喪服姿の女性も。ペット墓地のほかロッカー形式の納骨堂があり、花や写真、使っていた食器などが飾られていた。同院渉外担当の藤森一登さん(48)は「毎日お参りに来る方もいらっしゃいます」と話す。

 ……(中略)……

 広報担当の杉崎哲哉さん(49)によると「以前はほとんどが合同葬でしたが、現在は2割の方が立ち会い葬を、3割の方が個別葬を選ぶ」という。僧侶が読経し、戒名に準じたものを渡す。「家族の一員として、人と同じように弔いたい」という要望は年々高まり、ひつぎに愛用の品を入れたり花を手向けたりする飼い主が多いという。

生きているときに家族なら死ぬときも家族

 高齢者のペットの「相続」に関しては、Azuさんが何回か取り上げている。

 そこで、今後一人暮らしの高齢者が増え、なおかつペットを飼う高齢者が増えてくると、飼い主が死亡した後の「ペットの相続」が大きな社会的な問題になってくる、ということが指摘されている。

 ペットとの生活を老後の生きがい、心の支えにしている人は多い。そうした人にとって、ペットは「我が子(孫)」「家族」である。

 そうであるならば、自分の死後のペットの行く末も大きな心配事であるが、他方で自分の生前にペットが死ぬことも大きな衝撃である。ときには「ペットロス症候群」と呼ばれるような深刻な心理的後遺症をもたらすこともある。

 つまり、ペットの死は愛する家族の死である。ゆえに、ペットも家族と同じように弔ってやりたい、というのはごく自然な感情である。

 ところで、これまでたびたび近年の「葬儀の簡素化」の趨勢をテーマとして取り上げてきたが、これは家族葬、直葬、自然葬など外見的に簡素な葬儀が増えてきているということである。

 ということは、人間の葬儀が簡素化する一方でペットの葬儀が人間並みに「本格化」するとなると、外見的には人間の葬儀なのかペットの葬儀なのか分からない、という事態も増えてくるだろう。(もちろん「遺影」を見れば一目瞭然だが。)

 もちろん「人間と動物を一緒にするな」という世間や周囲の顰蹙はあるかもしれないが、弔う側のココロ(心)の問題としては、「家族」として愛してきたペットが亡くなったら「家族」として弔ってやるのは自然なことだとも思える。

 そして、おそらくこれもまた「弔いのカタチからココロへ」という意識的趨勢の一つの現れだと推察されるのである。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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