父と子

「自分史」絆を次代へ 親や夫の歩みを残す人も

 「自分史」と言われてどんなイメージを持つだろう。老後に人生の軌跡を振り返り、自分で筆を執るのが代表的だが、最近は子どもから老いた親へ思い出アルバムを贈ったり、死別した夫を追悼して文章にまとめたりと、その形態は多様になっている。何が自分史づくりに心を向かわせるのか。

 「夫の人生を、3人の子どもたちに伝えたかった」。昨夏、福岡県太宰府市の職員だった森田良一さん(享年57)を亡くした妻の真佐江さん(58)は、夫の“自分史”を作った理由をこう語る。

 職場で半袖シャツに草履姿を貫いた良一さん。人に優しく、人と触れ合う現場を大切にした。人権問題に奔走し、数多くの仲間をつくった。がんと闘病しながら、定年を前にこの世を去った。

 葬儀には800人近い弔問客が押し寄せた。夫の職場の同僚から、真っ向勝負で仕事に打ち込んできた姿を聞かされた。普段は無口で、家では仕事の話を一切しなかったのに…。

 仏壇の前で泣き暮らす日々。次第に思いがこみ上げてきた。「夫のすごさを知らなかった自分が恥ずかしかった。何より、それを子どもに伝えることができなかった」

 1990年から続く北九州市自分史文学賞。毎年300~400点の応募があり、7割が60歳以上の男性という。「自分の生き様とその時代の空気を子や孫に残したいと願う人が多い」(市文化振興課)という。

 戦後の復興から高度成長期を生き抜いてきたシニア世代。お父さんは外で身を粉に働き、お母さんは家を守る-それが当たり前の時代だった。人生の終焉に近づいた時、子どももパートナーも、お互いをよく知らなかったことに気づく人も多いのではないか。

 日本の家庭の父親は他の国に比べて子どもとの関わりが希薄なことはよく知られている。
 国立女性教育会館『平成16年度・17年度家庭教育に関する国際比較調査報告書』によると、他国に比べて日本では父親が子どもと一緒に過ごす時間が短く、子どものしつけについては主に母親が担う傾向にある。

父子の関わりの度合いの国際比較(出所:文部科学省『平成19年度中央教育審議会答申 次代を担う自立した青少年の育成に向けて』)

父子の関わりの度合いの国際比較
(出所:文部科学省『平成19年度中央教育審議会答申 次代を担う自立した青少年の育成に向けて』)

 戦後日本の典型的家庭のイメージは、「夫(父)は仕事、妻(母)は家事・育児」という性別役割分担の核家族世帯である。
 すなわち、夫はもっぱら仕事に専念して家事や子どもの世話・教育は妻に任せっきり、平日は毎日のように夜遅く帰宅し、休日もだいたいゴロゴロ寝ていて妻や子どもにせっつかれてしぶしぶ家族サービスに出かける、というパターンである。
 また、子どもと一緒にキャッチボールをしたり、バトミントンをしたり、といった子どもと一緒に遊んだりすることには比較的積極的だが、子どものしつけや教育は妻(母親)に任せっきりの人も多い。

 かくして、子どもの側から見た父親の印象はどうしても薄くなる。そして進学や就職を機会に家もとを離れそのまま結婚して新たに子ども自身の家庭ができると、あとは盆暮れにたまに実家に帰ってくるだけで数十年が過ぎ、けっきょく再び父子がゆっくり一緒にいることができたのは父親の葬式のとき、ということもありがちな話になる。

 こうした戦後日本の典型的家庭では、子どもは父親がどんな人生を歩んできたのか、厳しく険しい道のりをどんな信念で踏み進み家族を守ってきたのか、その「生きざま」についてほとんど何も知らないまま父親の死を迎えることも少なくないだろう。
 もちろん、それでいい、という考えもある。父親の役割は家族の生活基盤を守ることであり、子どもが大人になるまではそれをしっかり支え、社会人として一人立ちしてからは後は自分の選んだ生き方を自分の信念に基づいて生きていけばよい、というぐあいである。

 しかしながら、このとき、子どもが大人になって自分自身の人生の道を歩み始めたときに本当に「支え」になるものは何なのか、ということにもう少し思い至る必要がある。

 このことを痛感したのは、わたし自身の個人的経験による。
 わたしの父は地方の小さな町で小規模零細の土建屋を営んでいた。日中は現場で仕事、夜は仲間と外で飲み歩くという典型的な土建屋の親父のライフスタイルで、当然子どもの面倒は母に任せっきりであった。子どものしつけや教育にもまったく無頓着で、わたしは父から勉強しろと言われた記憶はまったくない。
 ただ子煩悩ではあったので、一人息子だったわたしには優しく、小さい頃は近くの山や川によく虫採りや魚釣りに連れて行ってもらったのをよく覚えている。
 その一方で、自分の仕事に関する事柄は一切何も話をしなかった。子どものときに現場の事故で大けがをして一ヶ月ほど入院していたときがあったが、そのときも何があったのか詳しいことはまったく言わなかった。ただ、父は危険な仕事をしているのだな、と子供心で思った記憶がある。

 わたしが父のライフヒストリーについてまとまって知る機会を得たのは40歳を過ぎてからのことで、父が癌で生死の際に直面したときだった。そのとき、父は母とともに二人で暮らしていたが、母は父の仕事や事業にはほとんど関与しておらず、一人息子であるわたしがそれを把握しておく必要に迫られた。そしてそのついでに父のプライベートな過去の記録も整理することにし、写真や手紙などにつらつらと目を通してみた。
 そのとき初めて、父が職人として一人立ちするまでにいかに厳しく辛い日々を耐え忍んできたか、土建業を立ち上げてからいかに数々の危機や困難を乗り越えて家族を守ろうとしてきたかをまざまざと知ることができた。正直、それらを見て涙が止まらなかった。

 幸いにしてひとまず病気を克服することができたが、その後も父のライフヒストリーについて互いに話をすることはなかった。しかそそれ以来、父の人生は密かにわたしの「ココロの財産」となった。どんな苦境に陥っても、父が乗り越えてきた苦境に比べればたいしたことはない。父はそれを乗り越え自分を育ててくれたのだから自分も乗り越えなければならないし、乗り越えることはできる。そう思えるようになったのである。

 改めて考えてみれば、そもそも親が子どもに自分の過去をあからさまに話をするのは気恥ずかしいところがあるし、いろいろな苦労話も子どもに余計な心配をさせたくないので正直に話をしずらいところもある。結果として、病気や事故など不測の事態が起きたときに初めて必ずしも予期しない形でそれを伝え残す機会が生じたりする。
 しかし平均寿命が延びてきているので、そのときには子どももかなり歳をとっていることも多い。できれば本当は、子どもが成人してこれから自分で人生の棘(いばら)の道を切り開いていかなければならにときに、まとまった形で伝え残しておくのがベストであろう。

 そう考えると、本人のみならず、妻(または夫)や子どもの方から自分史の作成を提案してみてもよいだろう。そして本人にプレゼントする、という形にしてもよいかもしれない。
 おそらくそれは、どんな内容のものであれ、家族にとっても、親本人にとっても、かけがえのない「ココロの財産」「タマシイの贈り物」となるはずである。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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