手元供養品(出典:NPO法人手元供養協会)

手元供養品
(出典:NPO法人手元供養協会)

供養は近くで、手元で

 故人の埋葬に対する考え方が変わってきた。地方のお墓から交通の便がよい都心の納骨堂に遺骨を移したり、遺骨の一部をしゃれたデザインの容器に入れて手元に残したり。供養に対する意識の多様化や大都市部での墓地不足が影響しているようだ。

 ……(中略)……

 遺骨の一部を家の中に安置したり、ペンダントなどに入れたりする「手元供養」を利用する人も増えている。

 東京都町田市の中尾貞子さん(83)は、13年前に亡くなった夫の遺骨の一部を、茶器の「棗(なつめ)」に入れ仏壇に置いている。夫の希望で海に散骨したが、「全部流す気になれなかった」という。墓石の代わりに木を植える市内の樹木葬墓を申し込んだが、納骨はしていない。「自分が死んだら、夫の遺骨と一緒に納めてもらうつもりです」

 葬送事情に詳しい東洋大学ライフデザイン学部教授の井上治代さんが06年に手元供養品の購入者約300人に行った調査によると、手元供養をする理由として「仏壇や位牌(いはい)より身近」を挙げた人が59人と最も多かった。「墓が遠くにあるので身近で供養したかった」という回答も12人で上位になった。

 井上さんは「核家族化が進み、先祖代々の墓を引き継いでいくという考え方に息苦しさを感じる人が増えている。しかし、故人を身近に感じていたいという思いが弱まったわけではない。利便性を重視したり、手元供養を利用したりするのは、そんな理由からではないか」と話している。

急増する「手元供養」

 近年、「手元供養」を利用する人が増えている。

 手元供養とは、故人の遺骨の一部を骨壺などに納めたり、装飾品に加工したりして、身近に置いておく供養の仕方である。骨壺などに収めるタイプは納骨型、プレートやストーンなどの装飾品にするタイプは加工型と呼ばれている。

 主な使われ方としては、墓が遠方にあって墓参りになかなか行けない場合に分骨の骨壺代わりに使われる場合、悲しみに暮れる遺族のグリーフケア(慰め)に使われる場合などがある。

手元供養の方法(出典:NPO法人手元供養協会

手元供養の方法
(出典:NPO法人手元供養協会)

 このグリーフケアが日本で広がり始めたきっかけは、2001年に米国で起きた同時多発テロだったという。

急増する手元供養利用者 散骨とのセット販売も始まる

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 NPO手元供養協会の山崎讓二会長によれば、手元供養が日本で広がり始めたきっかけは、2001年9月に 米国で起きた同時多発テロだった。当時、米国では遺骨を納めるペンダントがはやった。これを日本の業者が輸入販売したところ、一部の人たちの間で口コミによって広がったという。

 手元供養協会によれば、03年における主な販売業者は5社、販売個数は約500個だったが、11年には16社、、約2万7000個にまで拡大している。「市場規模はいずれ年間死者数の1割に当たる約10万個なるだろう」(山崎会長)と見込む。

 
 もちろん、葬儀、墓、供養をめぐる日本の社会的・文化的変容も背景にある。

葬送どうする 広がる選択肢

 死んだら「○○家の墓」に先祖と入る―。最近、こうした「常識」が変わりつつある。これまでの「○○家の墓」 は、子々孫々での継承を前提としてきた。家族のありようや価値観が多様化し、墓の跡継ぎ問題に悩む人は少なくない。 「子供や孫に負担をかけたくない」「転勤族の子どもや結婚した娘には墓守を期待できない」子どもがいない夫婦やシングルも増加している。 継承者がいなければ、無縁墓として処分されてしまう・・・。そんな事情もあり、「○○家の墓」にこだわらない人が増えている。

 ……(中略)……

 そもそも「○○家の墓」が日本で一般化したのはせいぜい明治末期以降。歴史があるとは言えないのだ。世間体、死への畏怖、家意識、親せきとのしがらみ、慣習。葬送にはさまざまな要素が絡み合う。 しかし立派な先祖墓も、自宅の安置も、散骨、故人を偲ぶ遺族の気持ちには変わりないはず。(小谷みどり・第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部主任研究員)

 

「ココロ」がいつも身近にあればいい

 『コトダマ新聞』では、現代日本における「葬儀の簡素化」の趨勢についてたびたび論じてきた。

 「葬儀の簡素化」とは、現象面としては、家族葬や直葬、あるいは自然葬のように葬儀を身内のみで簡潔に行おうとする傾向の広まりを指しているが、都市型の納骨堂や手元供養などもその傾向の一端として含んでいる。

 すでに指摘したように、この「葬儀の簡素化」は、より根本的には「死の個人化」、すなわち人の死や弔いを伝統的な規範や儀礼ではなく、故人(個人)の意思や価値観を尊重したものにしようという意識的・価値的変化を意味している。

 そしてこの「死の個人化」という変化を背景にして、「イエ主体」から「タマシイ主体」へ、あるいは「カタチ」から「ココロ」へという供養や弔いのあり方に関する変化が生じていると考えられる。

 したがって、「葬儀の簡素化」は、現象面だけを見れば不況・デフレ経済化におけるる葬儀費用の節約として捉えられるが、人びとの意識面に注目するならもっと根本的な文化的価値の変容を含意しているものと理解することができる。

 手元供養はそのような人びとの意識面での変化をよく表している現象だと思う。夫の希望で海に散骨したものの、「全部流す気になれず」、夫の遺骨を茶器の「棗(なつめ)」に入れ仏壇に置いている、という記事で紹介された女性のケースはまさにこうした「ココロ」を表している。

 「ココロ」のない「カタチ」だけの弔いはいらない、「カタチ」はなくても「ココロ」がいつも身近にあればよい―

 そう思う人はこれからも増えていくだろう。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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