photo credit: Elvert Barnes via photopin cc

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「女性手帳」 育児支援がチグハグだ

 少子化対策として政府の作業部会が「生命(いのち)と女性の手帳(女性手帳)」の配布を検討中だ。他にやるべきことがあるのではないか。「育休三年」への取り組みといい、対策の発想がズレている。

 妊娠や出産についての知識を得ることも大切だろう。だが、出産をするかどうか、いつするかは個人の自由だ。政府が「早く結婚して出産を」と一方的に女性に押しつけるとしたら理解しがたい。

 晩婚・晩産化や非婚化の大きな原因は社会にある。子どもを産もうとしたとき壁が立ちはだかる。女性が一人目を産むには結婚できるかどうかが問題だ。二人目を産むには夫の子育て参加がカギを握る。三人目を産むには教育費など経済力が要る。

 若い世代は非正規社員が増え低賃金で雇用も不安定では結婚もままならない。夫の長時間勤務を是正し夫婦で子育てできる職場環境はなかなか整わない。教育への公的な支出を増やし家計への負担を減らす支援も不十分だ。

 子どもを「産まない」のではなく「産めない」社会こそが問題なのだ。その解決に腰を据えて取り組まないと次世代は育たない。

少子化の根本的原因は教育費の負担

 前回に引き続き、「女性手帳」の話題である。

 前回の記事で、政府の作業部会が少子化対策として検討している「女性手帳」は「少子化対策」としては的外れで現実逃避的な施策であり、「少子化対策」を現実を直視して真正面から検討するためには、「(女性が)子どもを産みたくても産めない」状況を解消する手段をまずは政策選択肢として明示し、その是非を国民に問うべきだ、と論じた。

 経済学的に言えば、少子化(あるいは晩産化)の直接的な原因は、「子どもを産み育てること(出産・育児)の費用の増加」と考えられる。

 単純化して言えば、子どもを産み育てることから得られる「効用(利益)」「不効用(損失)」を比較して後者が前者を上回る、あるいはその差が広がっている人が増えている、ということである。

 かつては(あるいは現在でも後進国では)子どもは重要な「生産手段」(農家などの家業の手伝いや跡取り)であり、なおかつ「生活保障」(親や祖父母など家族の面倒や介護)であったので、先々を見越したその「期待効用(利益)」は親にとって大きかった。

 しかし、産業化、都市化、核家族化の進展、あるいは社会保障の充実とともに、こうした「生産手段」や「生活保障」といった実利的側面は希薄化し、代わりに「精神的安らぎ」「生きがい」といった情緒的側面が子どもの「効用」の中心を占めるようになった。

 その一方で、高学歴化の進展や、あるいはそれに伴う受験競争の激化や「お受験」熱の加熱によって家計の教育費負担は増加する一方で、平成24年度の調査では小学生以上の子どもをもつ家計の教育費負担は年収の4割近くを占めるにいたっている。

年収に占める在学費用の割合<br />(出所:日本政策金融公庫「平成24年度教育費負担の実態調査」)

年収に占める在学費用の割合
(出所:日本政策金融公庫「平成24年度教育費負担の実態調査」)

巨額の税金を投入する覚悟はあるのか

 子どもを産み育てることの費用としては教育費が最大で、ゆえに少子化の直接的な原因の中でも最大の要因の一つは家計における教育費の負担増(あるいは主観的な負担感の増加)にあることは、ほぼ間違いないであろう。したがって、実効ある少子化対策の中核は、子どものいる家計の教育費負担を軽減することになる。おそらく、この「総論」に異論のある向きは少ないと思われる。

 問題は、それを政府の施策として行うからには当然そのための原資は税金となる、ということである。ちなみに、景気を拡大して、正規雇用を増やし、賃金を上昇させ……という政治家が選挙のさいによく掲げる「スローガン」は、少なくとも「少子化対策」に関しては風が吹けば桶屋が……と同じでたんなる「スローガン」として聞き流すレベルである。

 となると結局、少子化対策にどこまで税金を投入できるのか、という話に行き着く。現行の児童手当(子ども手当)のようなミミズの涙程度の金額で少子化が何とかなると思っている能天気な人はあまりいないだろう。直感的には、二人目の子どもから教育費全額無償(大学含む)になってはじめて出生率(合計特殊出生率)が2.0以上(すなわち夫婦2人で2人以上の子ども)に回復し、「少子化(人口減少)に歯止めがかかった」と言ってもよい状況になるだろう。

 しかし当然のことながら、そこまでの税金の投入は子どものいない家庭(あるいは子どもを産めなかったり産むつもりのない個人)に著しい不公平感を生じさせるだろう。したがって、少子化対策としては実効的であっても政治的には現実的ではない。また、

 ただ、政治的な現実性はともかく、少子化対策の核心はここにあることを本当はいちど真正面から国民に問うてみたほうがよいである。つまり根本的に問題なのは、誰かの家の子育てを「社会全体」で、つまり自分の生活を多少犠牲にしてまで面倒を見る「覚悟」が人びとにあるのかどうか、ということである。

 紹介した東京新聞の記事は当を得た正論ではあるが、そうした「覚悟」を国民に強いることを正面切って伝えていない。実際は、そうした「覚悟」を前提にしないかぎり、おそらくどんな「少子化対策」も絵に描いた餅でたんなる税金のムダで終わるだろう。だったらムダでもったいないので他の有意義なことに使った方がましである。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

2 Comments

  1. sawa
    Posted 2014年5月25日 at 3:29 PM | Permalink

    教育費が極めて高いアメリカの出生率が、スウェーデンとほとんど同じ1.89なのをみると、どうも、そういう問題ではない気がします。

    • Ryu
      Posted 2014年5月26日 at 11:21 AM | Permalink

      コメントありがとうございます。
      ご指摘の通り米国は出生率は比較的安定しています。これにはいろいろな理由が考えられると思いますが、一つには意識的理由もあると思います。日本の家庭は子どもが生まれると過剰に子ども中心主義になり、結果として親の生活が二の次、三の次になって、これが心理的な負担感を増していると思います。
      それに比べて米国は子どもは子ども、親は親というところがあり、これが心理的な負担感を緩和している要因はあると思います。奨学金制度も発達していますし。

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