生前贈与の契約書を作成する藤巻健史さん

生前贈与の契約書を作成する藤巻健史さん
(出所:日本経済新聞電子版)

相続争いどう防ぐ フジマキ家の儀式

 2人の息子を前に座らせ、父親はいつものように自ら作成した不動産贈与契約書を差し出した。2人は黙って署名となつ印をする。
 フジマキ・ジャパン社長の藤巻健史(62)が20年以上続ける資産分けの儀式。願いは一つだ。「いつまでも仲良く」
 「伝説のディーラー」として知られる藤巻が儀式を始めたきっかけは、妻の父親からの相続だった。1988年、バブル景気のただ中だったため、妻は高騰した土地の相続で多額の税負担を強いられた。手伝った藤巻も疲労困ぱいしたという。
 「こんな思いを息子たちにさせたくない」。痛感した藤巻が選んだのは生きているうちに少しずつ財産を贈与することだった。「平等に分け、2人が争っていないことを確かめられる」
 息子たちには贈与税の申告を任せている。「ちゃんと感謝の気持ちも持ってほしい」。儀式はこれからも続く。

 

 前回に引き続いて、相続に関する話題である。
 前回指摘しているように、相続に関しては、法制度上は戦後の民法改正で近代個人主義の理念に基づくことになったが、社会と個人の深層では前近代的な家(イエ)制度の規範意識がしぶとく残り続けているように思われる。

 そもそも、遺産の相続人として、配偶者はともかく、子どもを含めた血族が法定相続人に定められているのは、基本的には家制度の倫理規範に基づく。ただし、倫理的観点のほかに経済的観点からも、伝統的な農村社会のように家(家業、自営業)が経済的基盤になっている場合は合理的根拠があった。
 というのも、農家が典型的であるが、家がそのまま生産拠点となっている場合は、家族全員が何らかの役割と程度で「働き手」であることが一般的である。たとえば、田舎の農家では、戦後もしばらくのあいだは、子どもは小学校に通いつつも田植えや稲刈りなど家が忙しいときには学校を休んで手伝うのが当たり前だった。つまり、小学生の子どもといえどもその家の重要な働き手として「稼いで」いたのである。
 したがって、こうした生産活動で得られた所得や資産については家族全員が直接的に寄与している。ゆえに、家業で得られた財産に関しては世帯主とその配偶者だけではなく、子どもや親(祖父母)も一定の権利を有しているのはある意味では当然である。

 しかしながら、戦後の日本社会で主流派(中間層)を形成していったのは、都会の会社で従業員として働く人たちの核家族世帯であり、そこでは働き手は基本的に夫(父)だけであった。ただし、妻(母)は子どもが幼いころは専業主婦として、手がかからなくなってからはパートとして家計補助的に働きに出ることもあった。
 その一方で、子どもは家にいるあいだはもっぱら勉強するだけ(もしくは遊ぶだけ)である。学校を卒業して社会人として一人立ちしてからは、原則として新しい世帯を構成する。ただ最近は、晩婚化ないし非婚化が進み、二十代、三十代でも独身のまま親と同居している人も多くなり、しばしば「パラサイト・シングル」とか「ニート」とかと呼ばれてマスコミで取り上げられることもある。
 それはともかく、こうした戦後日本社会のいわゆる「標準世帯」では、子どもは親の所得や資産の形成になんら寄与しておらず、むしろ家計の最大の負担要因になっているのがふつうである。そうした実態を考慮するならば、子どもが配偶者と並んで遺産の相続を法律上の「権利」として要求できる、というのは「合理的根拠」を欠いているようにも思える。

 しかしその一方で、近年は、パラサイトやニートとは異なり、親の介護のために退職してまで親の世話をしている子どもも少なくない。そのような場合は、親から子どもへの遺産相続は子どもの当然の「権利」であり、なおかつ子どもの生活の保障のためにも親の「義務」である、ともいえる。
 とはいえ、それでは遺産がなければ親の世話をしないのか、親の世話は遺産目当てなのか、という問題もある。子どもが親を介護したり扶養したりしている場合は、子どもは実質的に「配偶者」と同じ立場にいると考えることもできるが、形式上は世帯として独立していることもあるので話はそう簡単ではない。

 いずれにしても、親の面倒をとくにみているわけでもないのに、子どもであるというそれだけの理由で親の死後に唐突に相続を「権利」として主張する、というありがちなパターンには違和感がある。現代社会における親子間の相続は原則として「権利―義務」として行われるのではなく「配慮―感謝」として行われるべきであり、その意味では紹介記事の藤巻親子のように明確な意思のもとで「生前贈与」として行われるのが筋だと思う。
 それに、”ココロのつながり”がないのに多額の金銭をまるでタナボタのように子どもに与えることがはたして子どもを「配慮」していることになるのかどうかもよく考えてみるべきだろう。何が子どもの人生にとってもっともよい「遺産」「相続」となりうるか、ということは、ほんとうは法律や慣習や世間体に委ねてしまうのではなく、最大級に真剣に考えるべき親の最期の努めであると思われる。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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