東京家裁の調停室

東京家裁の調停室(出所:日本経済新聞電子版)

相続争い、調停で 家族の絆を結び直す

 「兄の、あの言葉が許せなかった」
 東京家庭裁判所家事第5部「遺産分割部」。その調停室で弟は2人の調停委員に言葉を絞り出した。
 「喪服を取ってこなくちゃ」。父親が危篤に陥り、やっと顔を見せた兄は、父親の手を握ることもなく一瞥(いちべつ)して部屋を出た。「もう兄弟じゃない」。つきっきりで看病していた弟は怒りに震えた。父親の死後、連絡を絶ち遺産分割協議に応じなかったため調停を申し立てられた。

 遺産分割の調停申立件数は年々増加傾向にある。2011年度の新受件数は約1万2千件。調停に至らないものの、持ち込まれる問い合わせは17万件を超す。東京家裁では、裁判官5人と調停委員300人余りが調停にあたる。部全体では通常18の部屋で連日、午前・午後と調停に追われている。
 1件の調停は2人の調停委員と裁判官1人が担当する。調停委員は弁護士や税理士のほか一般人もいる。「1回の調停に2時間以上かかることもある」と高橋伸幸判事(43)。争いの当事者双方の言い分を個別に聞き、落としどころを探る。

 調停に至る前の段階で既に感情的な対立が激しくなっていることも多い。だが、調停は解決に向けた最後の場でもある。「血のつながりがあるからもつれることがある。凝り固まった感情をほぐしていく」(高橋判事)。
 「自分の思いを口にして、ようやく兄の気持ちに気づけた」。冒頭の兄弟は調停を終え、元の関係を取り戻した。希薄になる親戚づきあいや個人の権利意識の高まり。そのひずみに向き合い、諭し、絆を結び直す。調停委員らの奮闘は続く。

 

 これから日本は少子高齢化の一つの帰結として「多死社会」を迎える。それが日本社会に及ぼす影響は測り知れないものがあるが、そのなかの一つとして「相続」をめぐる問題がある。すなわち、これから遺産相続をめぐる争いやトラブルが増加していくことは間違いないだろう。

 相続をめぐる問題は、人によってさまざまな事情がありうる。またそれは、根本的には、個人の家族観や人生観にかかわる問題なので、人によってさまざまな考え方がありうる。そして、「人によってさまざまである」ことそのものが、制度による一律の規定が難しいことを示唆している。
 もっとも、かつては「人によってさまざまである」わけでは必ずしもなかった。というのも、日本社会の伝統として根付いていた「家(イエ)制度」が個々人の意志を超越して相続のあり方を規定していたからである。
 しかしながら、戦後の新憲法のもとで家制度はまず法制度として廃止され、また都市化と核家族化の進展、および民主主義と個人主義の浸透によって規範としても意識としても衰退していった。

 とはいえ、こうした表層はともかく深層では、家制度はいわば「黒かび」のようにいまなお社会の深層規範および個人の深層意識のなかに染み付いているのではないかと思われる。
 それを証示していると思われるのが、よく指摘される「日本の家族におけるコミュニケーションの少なさ」である。
 日本の家族は、欧米はいうまでもなく韓国などアジアの近隣諸国に比べても家族間のコミュニケーションは乏しいといわれている。たとえば政府の『子供と家族に関する国際比較調査』(平成7年)の結果によると、「配偶者と子供のことで話し合う頻度」について、「よく話し合う」「時々話し合う」という人の割合はアメリカと韓国では95%を超えているのに対して、日本では89%である。
 また、日本の夫婦は「夫婦同伴の外出」「情報の伝え合い」「共通の友人の数」などの点でパートナーシップが低く、「夫は仕事、妻は家庭」という役割分担意識が強いことも指摘されている(生野桂子「変容する家族と人間形成」)。

総務省「子供と家族に関する国際比較調査の概要」

(出所:総務省「子供と家族に関する国際比較調査の概要」)

 つまり、日本の家族は「家族(夫婦、親子)はどうあるべきか」ということが規範的に決まっていて、日常の家庭生活のなかで夫は夫として、妻は妻として、親は親として、子どもは子どもとしてどのように振舞うべきか、わざわざ話をするまでもなく自明だった、ということだと思う。
 その結果として、とりわけ日本の(中高年)男性は、家族のような情緒的な人間関係、すなわち”ココロのつながり”を「言葉」(会話、コミュニケーション)によって良好に保つ能力・スキルが著しく低下したと考えられる。いわゆる「”おい”だけ夫」である。

 制度化(正統化)された家族でさえあれば、あとは放っておいても家族であり続けるだろう、というのは、家制度が磐石であった前近代の話である。近代家族は「規範的結合」ではなく「情緒的結合」、すなわち”ココロのつながり”を原理としているのであり、それは法律が保障してくれるようなものではなく、家族のメンバーがお互いに意識して日常のコミュニケーションによってメンテナンスしていかなければならないものなのである。
 ちなみに「こっちは家族のために毎日夜遅くまで仕事して疲れ果てているのに、さらに女房のグチや茶飲み話にまで付き合わされたらかなわない」とは、世の夫からよくきく弁明である。これは実質的に”ココロのつながり”のメンテナンスのために「言葉」の代わりに「カネ」を使うことに他ならないが、そうしているうちにやがて「カネ」がないとつながらないココロになってしまうだろう。

 相続をめぐる問題も、根本的には、家族間(遺族間)のコミュニケーションの問題である。ふだんからお互いのコミュニケーションがとれていれば相続のさいに然争いになることもないだろうし、かりにいざこざが生じても話し合いで解決できる関係や雰囲気はすでにできているはずなのである。

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.
『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)