「足成」より

「足成」より(出所:Business Journal)

葬儀ビジネス最前線?深刻化する墓選び、ベンチャー参入でデフレ化加速…

 葬儀・法事の簡素化で収入が激減しているのは「寺」だ。江戸時代以来の伝統仏教の収益基盤であるはずの檀家制度を廃止した寺まで登場している。檀家でも菩提寺に相談せずにこっそりと葬儀をあげてしまうケースも出てきたのだという。
 危機感を感じたのか、宗教本来の目的である布教に立ち返る僧侶が登場している。
 東京・銀座では、浄土真宗の若手を中心とした「僧侶と語る会」が開催され、仕事帰りのOLたちが人間関係の悩みを相談する。東京・神谷町では、本堂前のテラスを「神谷町オープンテラス」として開放。期間限定で精進料理を提供した「お寺レストラン」も開催されたほどだ。寺離れ、宗教離れがいわれるが、20~30代の女性中心に仏教ブームも起きている。「寺ガール」の誕生だ。中高年に支持される寺も増えている。東日本大震災後の無力感にとらわれた心の傷をいやすべく、時代が信仰を求められているようだ。
 寺視点の終活セミナーなど、常識にとらわれない僧侶の試みがなされている。興味深いのは、今回の特集のインタビューにも出てくる、お寺カフェやインターネット寺院の開設を手掛け、著書も多数の松本紹圭僧侶のようにMBAをとるなど高学歴の僧侶が多いことだ。MBAの経営の知識を寺院の経営に役立てようという動きなのだろうか。MBAという生くさい経営の世界では得られない魅力が仏教にあるからなのかもしれない。

 

 「寺」が今、大きな岐路に立たされている。

 周知の通り、一方で「葬儀の簡素化」が進んでいる。ベンチャー企業などが「小さなお葬式」というキャッチコピーで10万円台からの葬儀を提供しており、競争も激化してデフレ化が進んでいる。
 他方で、「墓の簡素化」も進んでいる。都市部を中心に規制などにより墓地や霊園の新設・増設がままならず、「墓不足」も深刻化している。その結果、小スペースですむ納骨堂や手元供養が増えている。
 こうした「簡素化」の趨勢は、従来型の葬儀に収益を依存してきた「寺」の経営を直撃している。さらに檀家であっても菩提寺に内緒で葬儀をあげてしまうケースも出てきており、檀家制度も揺るがしている。

 「葬儀の簡素化」「墓の簡素化」の趨勢の直接的な背景には、経済環境の悪化で葬儀のような「儀礼」に金をかける余裕がなくなってきた、ということがあるだろう。さらに、「儀礼」なので、「みんなで渡れば怖くない」、すなわち他の人たちがやらないのであれば自分もやらなくてよい、というぐあいに一挙に広まってきた、と考えられる。
 さらにまた、消費経済における節約意識の高まりが葬儀や墓にまで波及し、その「費用対効果」が厳しく問われだした、ということもあるだろう。そのさい、これまでの慣習的な「相場」がけっこうぼったくりでいいかげんな理由で決められてきたことが次々と明るみにされてきている、ということもある。

 こうした趨勢は、おそらく不可逆的であり、このままある程度のところまで「簡素化」は進んでいくだろう。そうすると、これから寺はどうするべきか、というのは大いに思案のしどころである。
 「経営感覚」のある一部の寺は、すでにこうした趨勢に積極的に適応しようとしており、「小さなお葬式」「小さなお墓」に対するニーズにマッチしたあの手この手のサービスを企画・提供しはじめている。”坊主丸儲け主義”のようで眉をひそめる向きもあるが、時代のニーズにあった葬儀や墓のあり方を積極的に提案・提供するはむしろ寺の義務でもある、と考えることもできるだろう。

 しかしながら、このことは寺にとって両刃の剣でもある。
 というのも、本誌でたびたび論じているように、こうした趨勢の根本には「死の個人化」という死をめぐる意識や価値観の変化があり、弔いはあくまで心の問題であり、世間体にこだわった形式的な儀礼はそれとは関係がない、あるいはむしろ虚礼は廃するべきである、という意識が芽生えてきていると推察される。
 そうだとすると、たんに葬儀や墓を「小さく」すればよいという問題ではなく、そもそも「人の死を弔うとはどのようなことか」という根本的な事柄が問題にされてきている、と考えるべきであろう。そうであるならば、仏教はこの問いに対して現代にふさわしい答えを用意できるのか、ということがあらためて問われているのだ、とみなすこともできる。

 つまり、よく考えてみるとあまりに当たり前の話だが、ほんらい寺が仕切る葬儀や墓は「宗教的サービス」の一つなのである。したがって、「宗教的サービス」としての魅力や価値が喪失してしまったら、もはやネットサービスや宅配サービスなどと本質的な違いはなくなるでのある。このことを失念してたんに「簡素化」のニーズに応えようとすると思わず足をすくわれることになるだろう。
 したがって本筋としては、仏教(の各宗派)における「弔いの意味」「弔いのかたち」をいま一度練り直して人びとに示す必要がある、と思われる。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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