映画「犬神家の一族」のワン・シーン(犬神佐兵衛の遺言状)

映画「犬神家の一族」のワン・シーン(犬神佐兵衛の遺言状)

「誰にも頼めない」お葬式や遺品の整理(相続トラブル百科 実践編第28回)

 単独世帯で、近親者が仕事や結婚などの関係で物理的に遠く離れてしまい、頼りにしたくてもできずに心細い思いをしているようなケースも少なくありません。そうした状況で、自分が亡くなった後のさまざまな処理を想定して適切な手を打ち、そうしたリスクにしっかりと向き合うというのも、なかなか簡単なことではないといえるでしょう。
 ・・・(中略)・・・
 たとえば、死後の事務を執り行ってもらうことを、契約によって誰かに委任しておくといったような方法が考えられています。
 これは、自分が死亡した後にどのようなお葬式をのぞむのか、埋葬方法はどうするか、あるいは借りている自宅や施設の残置物をどうするのかといった事実に関する行為について、生前のうちにどうしてほしいかということを決めておき、契約を結ぶことでその内容の実現を任せる、というものです。託す相手が親族の場合は、何も仰々しく契約なんて……ということもあるかもしれませんが、第三者に頼むとなると話は別という場合もあります。そこで、契約書を作成しておくことで、死後の事務を託された相手方に契約上の義務を負わせるようにしたい、という考え方がとられているわけです。

 

 すでにたびたび報じられていることだが、現在では65歳以上の高齢者で構成される世帯の約半数近くが単身世帯になっている。この数と比率は今後も増えていく。

 単身世帯の場合、病気や不慮の事故などで自分が動けなくなったときにどのように対処するかは最大の関心事(心配事)の一つであろう。そしてそれに関して周到に準備しておくことは一人暮らしをしていく上で必須の事柄である。
 さらに、万が一自分が死ぬようなことがあったときどうするか、ということも考えてそれに備えておかなければならない。しかしそれに備えておくと言っても、自分の死後のことなので基本的には(別居している)家族や親族などに後を委ねるしかないが、いろいろな意味で「頼りにならない」(または「頼りにできない」)ことも多い。
 もちろん遺言状を作成しておけばその履行は法的に保証されるが、逆に言えば法的に効力を持つこと(財産や身分に関すること)しか遺族は履行する義務がない。それを履行するかどうか、結局遺族の意思に委ねるしかない。それに、遺言状の履行は法的に保証されていると言っても、その気になればその履行を妨害したり阻止したりする手段はいくらでもとれる。

 つまり結局は、「信頼」が問題なのである。自分が死んだ後のことには、もはや自分でもどうしようもない。残って生きている人にすべてを委ねざるをえない。逆に、残って生きている人が完全に「信頼」できるならば、何も言わずにすべてをその人に託して死ぬことも可能であろう。

 こうしてみると、単身世帯であるかどうか、というのは、人のエンディングのあり方にとって本質的なことではないことが分かる。
 単身世帯であるか家族世帯であるかどうかに関わらず、要は残って生きている人とのあいだに「信頼」があるかどうか、ということが本質的な問題である。そのように捉えるならば、昨今の遺言ブームやエンディング・ノートのブームは、高齢化や単身化とはまた別に、人間関係の根本的な変容がその底流にあるのかもしれない。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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