「婦人公論」11月22日号/中央公論新社

「婦人公論」11月22日号/中央公論新社

自分探しより墓探しをしろ!?~「婦人公論」が説く“理想の最期”とは

 今号の「婦人公論」(中央公論新社)の特集は、「40代から向き合う『理想の最期』」です。
 特集は、辛酸なめ子さんをはじめ、さまざまな著名人が“理想の最期”について語っているほか、エッセイストの酒井順子と医師の中村仁一による対談「『ポックリ』と『自然死』、どちらが楽ですか?」や、葬儀ライター(という肩書きの方がいらっしゃるんですね!)による「お金をかけない葬儀のテクニックあります」、ルポ「親にすんなりと遺言書を書いてもらうには」など実用的な記事も掲載されています。自分の死だけでなく、親の死にも役立つ内容です。
 酒井順子は、医師との対談で「独り身であるからこそ、自分向きの死を選ぶことができそうで、安心して最期を迎えられる気がしてきました」とコメントしていました。別の「『おひとり死』の準備は元気なうちにはじめる」という記事では、「死ぬぎりぎり直前まで、自分らしく幸福に生きていけるように、今からできることをはじめましょう」と唱っていました。はたまた読者体験記では、8年前に乳がんの手術を受けた女性(50歳)が、「私はできるだけ自分が納得できる形で最期を迎えたい」と綴っていました。これら「自分向きの死を選ぶ」「死ぬ直前まで自分らしく」「自分が納得できる最期」は、本特集のキーワードだと思われます。

 ライターの亀井氏は、「女の生き方にいつも真剣で権利意識と自己主張の強い「婦人公論」においては、死も“自分らしく欲”の対象となっている」と皮肉っているが、これはべつに「婦人公論」の読者に限った話ではない。

 本誌でもたびたび取り上げているように、「死の個人化」の趨勢によって、昨今の葬儀は、かつてのように社会的地位や社会関係を儀礼的に表出する場ではなくて、”自分らしさ”、すなわち自分の感じ方や考え方、あるいは生き方や生きざまを表現する場に変わりつつある。
 自分の「死」は、自分の「誕生」と同じくらい人生の最大級のイベントである。その最も重要なイベントの場を、「ところで故人はどういう人ですか?」と尋ねるような参列者で埋め尽くされる場にしたくないのは、考えてみれば当たり前のことである。
 そしてこのことは、葬儀だけでなく、遺言の作成や墓の購入などを含めた、いわゆる「終活」全般にいえる。つまり、”自分らしい”死に方を望む意識は、年齢や性別に関わらず、あるいは地位や資産に関係なく広まってきているのである。

 ただしそのさい、以前に桑名さんの葬儀を引き合いにして述べたことだが(「人生を”フォローする”」)、”自分らしい”死のあり方にとって、自分自身の「タマシイの言葉」―ここで「言葉」というのは広い意味であって、音楽、絵画、写真など「ココロの想い」を伝えることができるものであれば何でもよい―は欠かすことのできない中心的要素である。なぜなら、その「タマシイの言葉」によって、その人の”自分らしさ”が他の人に伝わり、そしてその人の「タマシイ」(ココロ)のなかで”生きていく”ことになるからである。

 こうした最も肝心なことを適切に伝えずに、「親にうまい具合に遺言状を書かせるにはどうしたらよいか」とか「墓を安く購入するためにはどうしたらよいか」ということ―それはそれで実用的な情報ではあるが―を書き連ねて、「”自分らしい”最後」とか「理想の最後」を語るのはどうかと思う。そういう意味では、皮肉の対象になっても仕方がないところはある。
 人生の最後の”自分らしさ”の表現が、そんな薄っぺらなものになってしまっては、それこそ死んでも死に切れないだろう。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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