手元供養用のミニ骨壺。漆や陶器のほか、フォトフレームの中に遺灰を収めるものもある。

手元供養用のミニ骨壺。漆や陶器のほかフォトフレームの中に遺灰を収めるものもある。
(出典:MSN産経ニュース)

最後のかたち(下) 変わる意識 意思共有、支援もスタート

 新たな葬送のかたちとして、遺骨の一部を骨壺やアクセサリーに保管したり、遺骨そのものを装飾品などに加工して身に付ける「手元供養」の需要が高まっている。

 関東を中心に葬儀サービス全般を手掛ける「メモリアルアートの大野屋」(東京都新宿区)は平成17年から、ミニ骨壺など手元供養商品を取り扱っている。遺灰を収められるアクセサリーは特に人気で、昨年度は前年度の2・7倍の売り上げがあったという。

 開発に携わった同社経営企画部の上原ちひろさんは「先祖供養というより、祖父母や親など、具体的な人をしのぶという感覚。亡くなった人とつながっていたいと考える方が増えているのではないか」と話している。

コトバ(言葉)でタマシイ(魂)を伝え継ぐコトダマ

 遺言、相続、葬儀、墓、終末期、尊厳死など、「人生の終わり方」「エンディングの迎え方」「死のあり方」をめぐる近年の社会的・文化的傾向の根底にある意識的変化を、「死の個人化」と呼んでこれまでたびたびテーマとして取り上げてきた。

 この「死の個人化」のもう一つの側面として、弔いの「カタチ」ではなく「ココロ」を重視するという意識的変化があると思われる。

 すでに述べたように、「イエ社会」の伝統では葬儀は基本的に「イエ主体」の儀式、つまり先祖代々受け継がれてきたイエ(家系)の「存続」――故人はいなくなってもイエは在り続ける――を血縁者や地縁者とともに象徴的に確認する儀式であった。

 近年の「死の個人化」によって、こうしたイエ主体の葬儀のあり方はすっかり影を潜めた。その代わりに、故人(個人)その人を弔うという個人主義的なあり方、すなわちある意味では葬儀の中核に人びとの関心が収束してきている。

 そしてそれと同時に、弔いの「カタチ」よりは「ココロ」、つまり故人(個人)の「ココロ(心)」とそれを偲ぶ「ココロ(心)」を最優先に考えるようになってきている。

 これは言い換えれば、故人(個人)の死にもかかわらず、故人の「ココロ」と残された人との「ココロ」のあいだのつながり(きずな)は切れていない、ということを胸の内に、すなわち「タマシイ(魂)」に刻み込むことが現代的な「供養」になりつつある。

 そして「ココロ」をつなげて「タマシイ」を伝え継ぐための紐縄となるものが、わたしたちが「コトダマ」と呼ぶもである。それは一種の「手元供養品」であるが、しかしアクセサリーや装飾品よりもさらに一層強く「ココロ」を結びつけるものだと考えている。なぜなら、人のココロはモノではなくコトバでできているからである。

 わたしはそうした現代的な意味での供養として、ぜひ〈コトダマ供養〉をお勧めしたい。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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