花火供養(Heavens Above Fireworks)

花火供養(Heavens Above Fireworks)

花火を上げて印象深い別れ ―「花火供養」がイギリスで関心を集める

 イギリスには、遺族や友人たちが地上で見守る中、小型飛行機で遺灰を大空にまいてくれるサービスがある。また、気球を借りて自分たちの手で遺灰を空にまく人もいるらしい。遺灰をまいてくれるスカイダイバーもいるらしい。空中散骨にも選択肢が色々ある中で「花火供養」は徐々に利用者を増やしている。
 花火供養は文字通り、亡くなった人のために夜に花火を上げて、故人との楽しかった日々を思いおこす集まりだ。花火に遺灰を混ぜてもらって打ち上げる。花火供養は葬儀の日に行うのではない。数週間後、数か月後に故人をしのぶために企画される。空に舞い散る華やかな花火は集まった遺族らに強い印象を与え、故人の思い出もより強く心に刻まれるのだ。

 本誌でもたびたび取り上げているように、近年、葬儀の簡素化が進んでいる。
 すでに指摘したように、こうした近年の潮流の背後には「死の個人化」、すなわち自らの死のあり方を自らの価値観に基づいて決める、という意識がある。自らの弔われ方、すなわち葬儀のあり方も、従来の伝統的な慣習や宗教的な教義に囚われずに「自分らしく」演出したい、という意識もそうした「死の個人化」の一つの表れと捉えることができる。
 また、葬儀の簡素化、例えば家族葬、樹木葬、海葬なども、それがもし故人の遺志に基づくものであるならば、「自分らしい」演出と理解できる。

 もちろんその他方では、「自分らしい」演出が従来の慣習からすれば「常識外れ」にみえることもある。記事で紹介されているのはイギリスの事例ではあるが、「花火供養」も、従来の葬儀のイメージからすると「常識外れ」かもしれない。しかし考えてみれば、遺灰を海にまく「海葬」があるなら、空にまく「空葬」があっても(理屈としては)おかしくない。
 具体的には、「花火に遺灰を混ぜて打ち上げる」ということだが、イメージとしてはたいへん“壮大で、華やかな”葬儀として強く印象に残るだろう。

 そもそも、日本でも近年の祭壇は、白木祭壇から色とりどりの花を用いた生花祭壇へと移りつつある。
 考えてみれば、「人生の最後を華やかに締め括りたい」というのは十分に自然な感情である。そうではあっても、これまでは葬儀の(伝統的・宗教的な)しきたりでそうした自然な感情が抑圧されてきたが、「死の個人化」の潮流はそうした抑圧から個人を解放した。

かつては葬儀の花といえば長持ちする菊が主流だった。だが今やトルコキキョウやユリ、カーネーションなど、洋花が数多く使われる。とげがあるからと敬遠されてきたバラも昨今では人気の花の筆頭だ。色合いも白を基調とした淡い色から、原色のものが加わるようになった。また、結婚式のブーケと見紛うようなアレンジも多く見受けられる。

 ちなみに、よく知られたことではあるが、現在判明している人類最古の葬儀と言われている、約7万年前のネアンデルタール人の埋葬では遺体に花がそえられていた。黎明期の人類の感情の豊かさに驚くと同時に、もともと花は弔いの感情を表す最も主要な手段だったことに思い至る。
 遺族の側のごく自然な感情としても、天国で花に囲まれた故人の姿を思い浮かべながら葬送したいだろう。そう考えれば、大空の花火にして天国に送り届けたい、という気持ちは、本当は常識外れでも何でもなく、誰でも共感できる葬儀の一つのあり方ではないだろうか。
 日本では今のところ花火の規制などで難しいようだが、イギリスで実際に行われているわけであるから、遠からず日本の空でも花火とともに空に散る人が出てくるだろう。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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