桑名さんの“ライブ葬”でトリを務めた葬儀委員長の内田裕也氏

桑名さんの“ライブ葬”でトリを務めた葬儀委員長の内田裕也氏(出所:産経ニュース)

桑名さん“ロック葬”内田裕也が飛び入り熱唱

 7月15日に脳幹出血で倒れ、意識が戻らないまま今月26日に心不全で亡くなった歌手、桑名正博さん(享年59)の通夜が29日、大阪市内の斎場で営まれた。音楽関係者ら約700人が弔問に訪れ、祭壇の横で生バンドが演奏する“ライブ葬”で弔った。葬儀委員長を務めるロック歌手、内田裕也(72)がトリで登場。「シェケナベイベー!」とシャウトし、マイクを握りしめて熱唱した。

 最近、葬儀を伝統的、慣習的な儀礼にこだわらずに、”自分らしい”演出にしょうとする人が増えている。
 先月亡くなったロック歌手の桑名正博さんの葬儀は、そうした潮流の一つの象徴であると言える。それが”桑名さんらしい”のは、桑名さんの愛したロック、そして”ジョニー・B.グッド”が、桑名さんその人の物の考え方や感じ方、あるいは生き方や生きざまを最も端的に表しているからだ。桑名さんが産み出した数多くの音楽作品やライブ演奏も、それぞれそうした生きざまの一つの表現なのである。
 そしてまた、そうした作品や演奏に、つまり「生きざま」に、感動し、心に刻み込み、何らかの形で自分の「生きざま」に文字通り生かそうとした人も多いだろう。そのように、桑名さんの「生きざま」が他の誰かの「生きざま」につながっていくことではじめて、桑名さんが”自分らしく”生きたことが”生きてくる”のである。

“フォローする”が生み出す「ココロのつながり」

 このことは、桑名さんのような有名人にのみ当てはまることではない。

 近年、インターネットではFacebook、TwitterなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が全盛を迎えている。こうしたSNSは、2000年代中頃から始まっていたWEB2.0というインターネットの新たな利用形態をさらに”ソーシャライズ”(”社交化”)させたものである。
 すなわち、WEB2.0とは、従来のように情報の発信者と受信者が決まっていて、情報の流れが特定の少数の発信者から一般の多数の受信者へと一方向的に固定化されたのに対し、無料のホームページやブログなどを通じて誰でもが情報の発信者(および受信者)になれるようになってきたことを標語的に言い表したものである。
 さらに、SNSは、これに加えて、こうした情報の双方向的な流れが、たんに一時的なものではなく、「共感」や「連帯」のような感情的・情緒的な「ココロのつながり」を生み出すことに着目したものだ。Facebookの「いいね!」ボタンやTwitterの「ツイート」ボタンは、そうした”ココロのつながり”を媒介する重要な機能である。

 ところで、こうしたSNSでは、“フォローする”(follow)という言葉がよく使われる。
 すなわち、自分が気に入った人のネット上のサイト、ページ、ブログ、ツイートなどを見つけて、そこでの新たな記事や報告を継続的にウォッチすることを意味している。これは、Facebookのように近況報告をしあうという意味あいや仕事上の情報収集・交換という意味あいもある。しかし、もっと重要な意味あいもある。
 例えば、最近アメリカを中心に流行している写真共有サイトのPinterestでは、それぞれの個人のページは自分のお気に入りの写真やイラストがピンボードのように掲示されているだけだ。そこでは、世界中のありとあらゆるサイトからかき集められた写真やイラストから「自分だけのオリジナル写真集」が作られて、公開されている。

 そこには、ほんとうに千差万別のユニークな「オリジナル写真集」が無数にあり、どれ一つとして他に同じものは存在しない。
 しかしそうした無数の「オリジナル写真集」の中から、自分の嗜好や感性にぴったりあうものを見つけ出すと、いわば小さな宝物を見つけたような、とても嬉しい気持ちになる。そしてその人の「オリジナル写真集」を”フォローする”ようになり、その追加や更新を楽しみにするようになる。さらに、その写真の一部を次々に”レピンする”(repin)―自分の写真集に付け加える―して、今度は自分の「オリジナル写真集」を作り上げていく。
 このように、Pinterestでは、他の人の「オリジナル写真集」をフォローし、レピンすることによって、自分の「オリジナル写真集」をつくりあげていく。そのさい、フォローする”オリジナル写真集”が「一流の写真家」のものであるとか「有名なアーティスト」のものであるとかということはいっさい関係がない。そこで重要なのは、自分の嗜好や感性にあうかどうか、感動を覚えるかどうか、だけである。

「タマシイの言葉」を”フォローする”

 これはPinterestという写真共有サイトのケースだが、さらに一般的な事例でいえば、自分と同じような困難を抱えた人のブログを”フォローする”ケースがあげられるだろう。
 例えば、病気で苦しんでいるとき、職場の人間関係で悩んでいるとき、就活や婚活がうまくいかずあせっているとき、借金を抱えて困っているときなど、何らかの意味で苦境にあるときに、自分と同じような状況や境遇にいて同じような心境にある人のブログやホームページを見つけると、それだけでなにか”救われた”気持ちになる人も多いのではないだろうか。
 もちろんそうしたブログは、それぞれの問題に対して具体的にどのように対処したらよいか、どのようにしたら解決の糸口が見えるか、ということに関して体験に基づいた貴重な情報を提供してくれる、という現実的・実用的な意味でも重要である。
 しかしそれ以上に、自分と同じような境遇で同じような心境にいる人の、その人自身の、その人らしい飾りのない「生(なま)の言葉」、あるいは「タマシイの言葉」を聞くことで、自分のココロ(タマシイ)が慰められ、励まされる。
 そして、だからこそ、そのブログを”フォローする”。それはたんなる「情報」ではない。自分の生きていくうえうえで不可欠の「タマシイの言葉」にもなりうるのである。
 このように、他人の”自分らしい”「タマシイの言葉」を”フォローする”ことで、自分の”自分らしい”生き方や生きざまがつくりだされていく。そのような意味で、人の生きざまは”フォローする”ことによってつながっていくのである。

 このようにしてみると、桑名さんの”自分らしい”葬儀の演出に、桑名さんが愛した”ロック”があり、桑名さんが作り出した”音楽”があることの意味が改めて理解できる。それは、桑名さんの「タマシイの言葉”」のである。
 そうした「タマシイの言葉」こそ、”自分らしい”死のあり方の核心にあるべきであろう。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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