「終活ビジネス」 市場拡大の兆し

「終活ビジネス」 市場拡大の兆し

「終活ビジネス」 市場拡大の兆し

 残りの人生をよりよく生きるために葬儀の進め方から墓、遺言や遺産相続にいたるまで、元気なうちに準備する「終活」という言葉を最近よく聞く。
 ニッセイ基礎研究所の主任研究員、土堤内昭雄氏は、「終活」ブームの背景には一人暮らしが増加し、自分の死後、周囲の人に迷惑をかけたくないという拡大する「お一人様」社会のニーズや、家族構成に関わらず自分が生きてきた証(あかし)を残したいといった面があると指摘する。
 また、最後までポジティブに生きるためにはどのようにするべきか、より良い生き方を意識したものでもあるという。一方で、「準備を始めてしまうと、死に引き寄せられる気がするので、積極的に取り組みたいとは思わない」(金融機関勤務の40代男性)との声もある。
 総務省が9月にまとめた推計人口によると、65歳以上の高齢者人口は3074万人で過去最多だった。高齢化とともにこうしたニーズはさらに増えそうだ。
 「終活」をネット検索すると、「終活アドバイザー」「終活セミナー」「終活ファッションショー」と聞き慣れない言葉が並ぶ。いわば「終活ビジネス」という一大市場が形成されている。その規模は1兆円後半-2兆円とみられている。

 市場は需要と供給がバランスするところで均衡する。需要の主体は個人(家計)であるから、「高齢者層」の絶対数(または比率)が増えれば高齢者の需要とそのニーズに応えるビジネスが活発化するのは当然といえば当然だ。

 しかし、近年の「終活」の盛り上がりの背景には、たんに高齢者(および死亡者)が増えるという人口動態的な変化だけがあるわけではないだろう。つまりそこには、死をめぐる個人や社会の意識的、文化的変化も大きく影響していると思われる。
 すなわち、中長期的な視点から俯瞰すれば、戦後から進んできた日本の近代個人主義の最終局面として(「生の個人化」に引き続く局面として)「死の個人化」がいよいよ到来してきたのだと思われる。

 この「死の個人化」には陽と陰の二つの側面がある。陽の側面としては、「死」のあり方が個人の「自由」に委ねられ、それを社会的規範や文化的慣習に囚われずに自分の価値観や主義主張で決められるようになることである。陰の側面としては、逆に「死」のあり方が個人の「責任」に委ねられ、家族を含めた周囲に”迷惑”をかけないように死ななけらばならなくなることである。
 したがって、「終活」は、「就活」や「婚活」などと同様に、「自ら積極的に取り組む」というニュアンスと「自分の置かれた状況に強いられて取り組む」というニュアンスの二つの意味あいが含意されている。

 しかし大局的な情勢として「死の個人化」は確実に進行していくと思われるので、どうせならそれをうまく踏まえて最大限に有意義な「終活」にしたい。
 そのさい、たんに葬儀の演出を考えるとか、相続の準備を周到にしておく、というのは、どちらかというと表面的、周辺的な事柄に過ぎないと思う。
 そうしたことのまえに、自分の死を身近な家族や社会にとってどのようなものとして位置ける(意味づける)のか、ということをよくよく考えてもらいたいと思う。つまり、根本的には自らの「死の哲学」をきちんと考えておくことだと思う。そしてそれが「死の個人化」の情勢にもっとも主体的、積極的に取り組む姿勢だと思われる。

 この〈コトダマの里〉が少しでもそれに役に立つことができれば幸いである。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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