"簡素な葬儀"は「死の本質」を見極める契機

“簡素な葬儀”は「死の本質」を見極める契機

なぜ30万円が120万円に? 葬儀費用のカラクリ

 お葬式を30万円で申し込んだのだが、最終的に何倍もの値段になってしまった……という話を聞いた。一般的な平均葬儀費用は、120万円と言われているが、もともと30万円のパックで申し込んだのに、最終的にこのような金額になってしまうことは多いという。30万円の葬儀パックが最終的に120万円になってしまうのはなぜなのか? どんな“カラクリ”があるのだろうか。

 「まず通常の葬儀のパックには必ず必要になる火葬料金や搬送料金・ドライアイスが入っていないことがほとんどです。また入っていても追加料金が発生するように設定されていますので注意が必要です。また葬儀社は『故人が悲しみますよ』などと祭壇やお花をより豪華なものに引き上げようと悪質な営業トークで大切な人を亡くして冷静な判断ができない遺族に迫ります。直接葬儀社からそう言われると断れないことがほとんどです」(株式会社ユニクエスト・オンライン)。

急速に進む「葬儀の簡素化」

 本誌でもたびたび取り上げているが、近年、「葬儀の簡素化」が急速に進んできている。以前に触れたことだが(「文化的で最低限の『死』を営む権利」)、そもそも純粋に「故人を弔う」という観点から言えば、これまでの葬儀費用が高すぎなのである。しかしこの背景には、「葬儀の社会的機能」に関する伝統的な日本文化のあり方がある。

 周知の通り、近代以前、あるいは戦前の日本社会は「イエ社会」であった。すなわちそこでは、家族の使命はまずもって先祖代々受け継がれた「イエ」の継承であり、家族のメンバーは個人の自由というような近代主義的な観念を超越した「イエ」の大義に従わなければなかった。そして葬儀は、故人を弔うというよりも、故人の死にもかかわらず存続するべきものとしての「イエ」の実在性を改めて確認する象徴的儀礼でもあった。さらに、地域社会(コミュニティ)が重要な人間関係の場であった時代には、葬儀は重要な「社交」の場でもあり、葬儀という社会的儀式はそうした人間関係を強化するという機能も果たしていた。

 しかし戦後、急速な工業化と都市化、および欧米の個人主義が浸透していくなかで、「イエ」意識は急速に希薄化していった。その結果、葬儀も次第に純粋に故人を弔う儀式に変わっていった。そして近年は、血縁関係や近隣関係など一次的な人間関係がさらに衰退し、結果として葬儀の「世間」に対する儀礼的、社交的意義も失われている。

 そうすると、葬儀のあり方に関して「伝統」や「世間体」を気にする必要はあまりなくなり、個人や家族の「価値観」や「嗜好」の問題になってくる。そこにさらに、日本の経済情勢の悪化があり、「すでに死んだ人間のために不必要なお金を出費するのはバカらしい」というドライで現実的な志向も強くなる。こうしたことを背景として、「自分流」の「簡素」な葬儀がはやっているのだと思われる。

葬儀の合理化によって「死」の本質を見極める

 こうしたことは、一見したところ人間の「死」そのものが非常に「簡素」で「手軽」なものになってきていることの表れのようにも見える。すなわち、人の死は申し訳程度の「儀式」で心理的にもけりをつけられ、後はすぐさま何事もなかったように日常が続く、というぐあいである。

 しかしそれは事の一面に過ぎない。こうした潮流はむしろ、「死」の本質、つまり「人にとって死とは何か」「人はどのように死ぬべきか」を見極めようとする意識をいっそう強めるだろう。つまりそこには、人の「死」にとって実は本質的でないこと、例えば「世間体」とか「見栄」とかにこだわることがバカバカしくなってきている、というある意味で合理的な感覚がある。

 しかし逆にそうだからこそ、それぞれの個人にとって「死」とは何か、それをどのように表現するのか、ということが人生上の大きな問題として浮かび上がる。そしてこれは、「生」とは何か、それをどのように表現するのか、という問題と表裏一体をなすものである。

 かつてはこうした問題はすでに伝統や慣習によって解決済みの事柄であった。しかし今や、自分で考え、自分で答えを出さなければならない。いずれにしても、死んでしまった後には何もできない。その前までに、その直前ぎりぎりまでに、それについて自分なりに一つの答えを出しておくことは、葬儀にいくらお金をかけるかをエンディング・ノートに記載しておくことよりはるかに本質的なことである。

 このように捉えてみると、これからの葬儀のあり方、あるいはもっと広い意味で人の「死に様」は、その答えに対する一つの答えとして位置づけることができるだろう。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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