「宝塚エデンの園」の共同墓

「宝塚エデンの園」の共同墓

生前から入居者が墓友に~高齢者住宅が共同墓建立

 「墓の管理で子や孫に負担を掛けたくない」「高額な墓をつくるのに抵抗がある」。少子化に伴うお墓の継承難などから、墓に対する高齢者の意識が変わりつつある。そうしたニーズに応える形で、入居者向けに共同の墓をつくる高齢者住宅も相次いでいる。
 有料老人ホーム「宝塚エデンの園」(宝塚市)は2010年8月、宝塚すみれ墓苑(同市)内に共同墓を建立した。約200平方メートルの敷地にあるのは、「愛」と刻んだ墓石と納骨堂。400区画のうち89区画が申し込み済みで、既に14人が納骨されている。
 「墓を任せる子どもがいない人も多く、以前から潜在的なニーズは感じていた」と園長の大西康之さん(53)。30万~35万円の申込金を払えば、管理費などは不要だ。納骨後は毎年春に慰霊祭が執り行われ、秋にも親族らが集まって集団で墓参りする。
 老人ホームなどの施設で入居者が亡くなった場合、送葬や遺品引き取りは親族に委ねられることが多い。同園生活サービス課長の小林敏彦さん(47)によると、子どもがいなかったり、親族との関係が途絶えていたりする人には、墓をつくるという選択肢がない人も多い。「不動産を処分するなどして、人生を整理して入居したのに、死んだ後でまた昔の血縁関係に縛られるのを嫌う人もいる」と話す。申し込み後、「負担の大きい墓の管理は自分の代で終わり」とほっとした顔を見せる人もいるという。

 本誌でもすでに取り上げているように、近年、直葬、家族葬、自然葬などの形をとりながら、「葬儀の簡素化」が進んでいる。そしてその背後には、人の死がその人が属する社会的地位や社会関係から切り離されて、その個人だけに関わる個人的・私的な事柄として扱われる、という意味での「死の個人化」という意識的変化がある、と指摘した。
 また、そうした「死の個人化」の趨勢は、死のあり方に関して儀礼的・形式的な側面ではなく、故人(故人)を弔う心、弔う気持ちを重視する意識を伴っていると考えられる。したがって、葬儀の簡素化は、(もしそれが自らの意思によるものであれば)その一つの表れということができる。

 そのように考えるならば、高齢者住宅の入居者同士が”墓友”になって共同墓に入る、というのは一つの弔いの形として十分にありうると思う。
 実際のところ、すでにほとんど交流がなく、”心のつながり”もない血縁者に葬儀を始めとして死後の処理を託すよりは(しかも内心迷惑がられるよりは)、人生の最後を共同住宅でともに過ごした人たちと一緒に弔われる方がよほど「心のある」弔われ方である、ともいえる。

 血縁や地縁は、弔いの心を必然的に伴うわけではない。逆に、弔いの心があれば血縁や地縁などの一切の形式的人間関係とは関係なく”墓参り”ができると思う。さらに、石でできた物質的実体としての”墓”すらも不要である。
 例えば、わたしは芥川龍之介の本を読むとき、いつも”墓参り”しているつもりである。なぜなら、芥川の〈タマシイ〉は彼の本の中にあるからである。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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