東京家庭裁判所

東京家庭裁判所

「あの子には財産を残したくない」親の思いの実現性[相続トラブル百科 実践編第22回]

 親といっても感情を持ったひとりの人間です。「遺留分なんてどうでもいい、揉めてもなんでもいいから、とにかくあの子にだけは絶対に財産をやりたくない」という意見が、多数派とはいえないまでも、確かに存在しています。
 ひとつ考えられるのは、家庭裁判所を通じてその子を自分の相続人から除外してしまう、という手続きをとることです。しかしながら家庭裁判所でこの廃除が認められる余地は、実際にはごく限られているという側面があるからです。
 また、遺産となりそうな親の財産そのものを生前から減らしておくことで、それに連動する遺留分も小さくなる、という方法も考えられます。たとえば、親が自分を被保険者として保険の契約をして、受取人をかわいいほうの子などに設定し、長期にわたり生命保険の利用をする方法などです。こうすると、親の財産を少しずつ減らしながら、かわいいほうの子供が受け取ることのできる保険金が確保されていくことになります。
 ただし、以上のように、積極的に特定の子の遺留分を少なくする方向性を検討することは、どのケースでも推奨できるわけではありません。
 とはいえ、その親子や家庭の歴史には、単なる親子のすれ違いといった問題ではすまされないようないケースも存在しているのも確かです。こうした複雑な背景のある問題は、相続の手続きを実践していくうえで、教科書通りには行かない、たいへん難しいと感じられる瞬間のひとつなのではないでしょうか。

 子どもに財産をあえて残したくない、というのは、なにも単純に子どもが嫌いとか憎いからという感情的な理由だけからではないこともありうる。

 例えば、カネにだらしの無い子どもに財産を分け与えたとしても、それがいくら多額であっても、そうした「泡銭」はまたたくまに消尽されてしまうだろう。そしてそれはたんにお金の使いかとして無意味、ムダであるというだけでなく、子ども本人にとっても良くないことかもしれない。麻薬を摂取すると”幸せそうになる”からといって子どもに麻薬を与える親はいないだろう。それと同じことである。

 こうした親の意思を明確にするという意味で法的にもっとも分かりやすいのは「相続人の廃除」という手続きであろう。にもかかわらず、家庭裁判所で廃除が認められることはほとんどない、というのは解せない。
 「国家権力が国民から財産を奪ってしまう形にもなりかねませんから、かなり慎重に判断される」ということのようだが、配偶者ならともかく、子どもに財産を残さないという親の意思を正当化することがなにゆえ「国家権力が国民の財産を奪う」ことになるのか。それこそ逆に、国家権力が財産の所有者の意図に反してその処分を強制的に決めることになるのではないのか。

 とはいえ、いっけん親孝行の子どもであっても、その孝行が遺産目当て、ということもある。例えば、年老いた親の世話や介護をまめにしてくれていた子どもが何らかの事情で期待していたほどの遺産がないことが分かって急に冷たくなった、とかいかにもありがちである。こういう子どもに多くの財産を残すのも考えものといえば考えものである。

 遺産の「相続」は、本来的に心の結びつきで結ばれているべきはずの親子関係を、好むと好まざるとにかかわらずカネで結び付けてしまう。したがってそれは、親子関係や子ども本人にとって、その「人生のあり方」にとって常によいことであるとは限らない。子どもたちに対する遺産の配分比率に思い悩むまえに、本当に「相続」すべきはカネなのか、そうした根本的なことをよく考えておく必要があるだろう。

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.
『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)