「カネ」は"遺らない

「カネ」は”遺らない

50兆円-あまりに「保守的な」相続マーケット

日本における遺産相続市場は推計で年間40兆~50兆円という興味深いレポートをフィデリティ退職・投資教育研究所が発表した。その内訳は、現金と預貯金21兆円、有価証券6.3兆円、土地23.7兆円。今後も、高齢者の増加に伴い年間死亡者数は増え、金額はさらに拡大するという。
 調査は今年2月、インターネットで行われた。結果、5500の有効回答を得たことから、相続の実態をデータで掴むことのできる報告となっている。同研究所の野尻哲史所長は「市場の大きさもさることながら、従来は感覚として捉えていた日本人の相続資産に対する保守的な心情と高齢化社会ゆえに起こる“老老相続”ともいうべき現実が数字で裏付けられた」と語る。

 日本はこれから「多死社会」を迎えるので、遺産相続をめぐるいろいろなトラブルが増加してくことが予想される。近年の「エンディング・ノート」ブームも、この遺産相続をめぐるトラブルを未然に防ぎたいという理由が主要な動機づけになっているものと思われる。

 ただ、現在の遺産相続のあり方はかつてのあり方と質的にも大きく異なる。かつては一部の資産家以外は遺産相続といっても問題になるのは土地の相続ぐらいだが、イエ文化の伝統のもとでは長男が相続するのが原則として自明だった。また、次男次女などは都会に出て勤め人になるわけだが、経済成長がある程度続いている情勢だと親より子どものほうが稼ぎがいいわけで、親の遺産よりは国家の福祉(年金など)の方に依存することができた。
 ところが21世紀に入り、経済成長どころか経済衰退の危機が現実味を帯び、もはや国も自治体も雇用先の企業もあてにならない状況になって、親の「金融資産」がにわかに熱い視線を集めることになった。
 子どもばかりではない。銀行を筆頭に、不動産屋から葬儀屋まで、産業界のありとあらゆる業者が「50兆円」に熱いまなざしをおくっている。

 しかしここで改めて考えてみると、「金融資産」というのは”語義矛盾”なところがある。
 「カネは天下の回り物」ではないが、お金(通貨)はそもそも血液のように経済(市場)を循環してこそその機能を果たすようにできている。したがって、一箇所に留まって滞留しているのは「血栓」のようなもので、体に不具合をもたらし、ひどいときには病に倒れることにもなってしまう。
 それに、ある程度まとまった金額であればそれなりの利子を産み出すので土地のような資産的(資本的)機能も果たしうるが、低成長・低利子の時代では多くは期待できず、けっきょくは「金融資産」とはいっても一般庶民では「消費財」レベルに過ぎないであろう。ただしそれが「お金」の本来の姿である。

 結局、おカネというのは、永く遺るようにはもともとできていないのである。
 したがって、遺産相続を考えるにあたっては、本当の意味で「遺る」のはどういうものか、といことをうことをぜひよくよく考えてもらいたい。子や孫が真に苦しいとき本当に役に立つものは何なのか。そしてもしそれを自分が遺せるとしたら、どうしたら遺せるのか。本当の意味での「遺産」とは、そのようなものであろう。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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