"遺体のホテル"「ラステル新横浜」

“遺体のホテル”「ラステル新横浜」

家族だけで葬儀を!低価格で式場提供

 新横浜駅周辺は近代的ビルやホテルが建ち並んでいる。そんな一角に今年6月「ホテル」が開業した。
 「ラステル新横浜」。一般のホテルではない。「遺体のホテル」なのである。遺体と遺族が最後の別れをする「ラストホテル」が、名前の由来だ。

 葬儀をせず火葬だけの葬送を「直葬」という。ラステルでは安置から火葬までの数日の間に、家族や友人が好きな時に面会できる面会室を備えている。葬式をしなくとも、家族だけで見送りができるラステルの直葬は31万5000円から、家族葬は50万円台からと、これまでの常識から考えるとかなり安い価格設定がなされている。

 「これまでの葬儀費用は、葬儀社側のいいなりでした。病院で死亡すると、短時間で病院指定の葬儀社が搬送するのが普通です。動転している遺族に価格交渉力はなく葬儀社の提示する価格が安いか高いかを考える余裕もない。葬儀費用のかなりの部分は香典で賄われてきたことをいいことに葬儀社本位に相場は作られてきました。だからお年寄りは、葬儀なんかしてくれなくてもいい、後に残る遺族が気の毒だという人さえ出ていたのです。そうした世界にラステルが風穴をあけることになれば、と思いました。」

 前回指摘したように、葬儀の簡素化はすでに時代の趨勢であり、今後もこの趨勢は続くであろう。

 インターネットが普及・浸透し、葬儀または葬儀業者についての情報や口コミを誰でも簡単に入手できる時代に、遺族が呆然としていることをいいことにあれよあれよと型どおりに葬式をしたあげくに最終的に数百万という費用を請求する、といったあこぎなまねが平然とできるわけがない。

 ただそういうことばかりでなく、現実問題として葬儀に高い費用をかけられる経済的余裕が全体的ないし平均的に減少してきたという事情があるだろう。そしてそれは葬儀ばかりでなく、結婚式なども含めた社会的儀礼・儀式全般に言えることだろう。

 いずれにしても、直葬や家族葬のようなごく身内で簡単に済まされる葬儀が今後の主流になるであろう。

 ただし、こうした事態はたんに葬儀の「価値」が低下してきたということばかりを意味するわけではない、と思われる。

 そもそも、故人との本当の意味での「心のつながり」がない人が葬式にきていきなり悲しみをあらわにしたり涙を流したりするのは、よく考えてみればかえって「不謹慎」であるとも言える。会社の同僚であるとか学校の友人であるとか形式上つながりがあって、それゆえ立場上“悲しまなければならない”人が、とりあえず形だけ葬式に出向いてなんとなくその場の雰囲気で悲しくなったり涙を流すのは故人に対して失礼ですらあるかもしれない。(もちろん遺族の前で談笑したり故人を中傷したりするなどの「失礼」は論外であるが。)

 本当の意味で「心のつながり」がある人が本当の意味で「弔い」を行うのが“葬儀の本質”であるし、そうした葬儀ならば亡くなった人にとっても遺された人にとっても本当に意義がある儀式・儀礼となるだろう。「葬儀の簡素化」がそのような意味で「葬儀の本質」を見定めた「葬儀の純化」の趨勢であるならば、社会的にも文化的にも望ましいことではないだろうか。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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