「過労死等事案」で労災支給決定された件数の推移

「過労死等事案」で労災支給決定された件数の推移
(平成22年版厚生労働白書)

7割過労死基準以上 残業協定 大手100社調査

 東証一部上場の売り上げ上位百社(二〇一一年決算期)の七割が、厚生労働省の通達で過労死との因果関係が強いとされる月八十時間(いわゆる過労死ライン)以上の残業を社員に認めていることが分かった。厚労省の指導が形骸化し、過労死しかねない働き方に歯止めがかかっていない現状が浮かんだ。

 貧困や格差はどこの社会にあったとしても、「過労死」、”KAROSHI”は日本社会に特徴的な現象だと言われてる。封建社会の奴隷制度ならともかく、近代社会の契約制度において「生命」より「仕事(労働)」の方が価値的に上位にある社会や文化は外国では信じがたいからである。(自らの自由意志で選択しているわけだから価値観の問題のように見える。)

 日本の中小企業に勤めていた経験のある人ならば分かると思うが、契約外の無償労働(つまりサービス残業)に日々従事している人はどこにでも普通にいる。しかしそこで問題なのは、それが「法律違反」とか「不正」とかという評価には実質的にはならず(つまりタテマエにとどまる)、「普通」なこととして評価される、という「空気」にある。この空気こそ、日本社会の伝統として連綿と受け継がれてきた文化である。

過労死もいじめも根は同じ文化的問題

 わたしは、この文化の特徴は「内外格差の大きさ」という尺度で評価できると思う。ここでいう「内外格差」とは、集団の「内」と「外」で生存条件・生活条件が格差があることを意味している。

 一般には、集団の内部は「安全」で生活条件も良く、集団の外部は「危険」で生活条件が悪い。
 日本は島国という地政学的条件により閉鎖的で非流動的な社会構造にあったので、この「内外格差」が(主観的・心理的に)大きい。海の荒波の向こうにはどんな危険が待ち構えているかわからず、それに比べるならばたとえ苦労と不満の多い現実であろうと島の中の生活のほうがまだ安心できる、というぐあいである。この「島」の内外格差が、「地域社会」「会社」「学校」「家族」など、日本のあらゆる社会組織・社会集団にいわば同心円的に成立している。
 「過労死」の問題も、「いじめ自殺」の問題も、根っこのところには、二千年以上も連綿と続くこの内外格差の大きい日本文化にあると考えられる。こう考えると、伝統や文化の力というのは、現代人が想定する以上に大きく、”しつこい”と言える。

 しかし逆に言えば、「たかが文化」である。他の社会に行けば、ものの見方や考え方はがらりと変わる。
 わたしの知り合いの中国人は日本でしばらく働いていたが、「日本企業と社会の『人権無視』は許しがたい」と言って中国に帰ってしまった。ことほど左様に、社会が変われば評価の視点も変わるのである。平安時代ならともかく、現代は”海を渡る”ことにはなんのリスクもないのである。
 とはいえ、紹介記事にあるような最近の「過労死」の背景には、上述の日本文化もさることながら、グローバル競争と円高によって日本の産業そのものが青色吐息になってきている、という事態がある。こうなると、今後は日本人の多くは、文字通り、”海を渡って”働きに出るしかなくなるかもしれない。

LINEで送る
Pocket

The following two tabs change content below.
『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)