[認知症]長寿国の現実(3)成年後見、量も質も不足

 成年後見制度は、高齢者の判断力の低下部分を補い、できるだけ自立した生活を送ることができるようにと導入された。だが、認知症高齢者が少なくとも200万人を数え、独り暮らしの人も増加する中、量も質も追いついていない。

 東京都内の80歳代の女性は2002年、あるNPOと「任意後見契約」を結んだ。将来、判断力が落ちた時に後見人になってもらうためだ。
 生活の見守り支援を受ける契約も結び、少なくとも170万円余りを預けていた。後に女性は軽度の認知症になったが、こうした支援があれば普通に暮らせるはずだった。
 だが約束は果たされなかった。08年、行政側が確認したアパートの一室には腐った食べ物が散乱、尿の臭いがこもる中に女性が座り込んでいた。預金が数万円単位で頻繁に引き出されていたが、女性には何のためか分からない。健康状態も悪化していた。
 弁護士らが協力してNPOとの契約を解除、社会福祉士が後見することになった。女性は今、グループホームで暮らすが、社会福祉士は「もう少し早く支援が受けられればこんな目に遭わせなかったのに」と思う。

 成年後見人は、認知症の高齢者らに代わって預貯金などを管理し、不当な契約を解除したり、老人ホームの入居契約を行ったりする。子や配偶者ら親族がなるケースが56%、他に司法書士が17%、弁護士が11%とのことである。

 認知症高齢者や単身高齢者が増加する中、成年後見人の「量と質」の確保が重要な社会的課題であるというのは確かであろう。ただし、「量」の拡大のためには「質」の確保が前提であり、「質」を欠いた「量」の拡大は弊害の方が大きいだろう。

 とはいえ、「質」の確保といっても、成年後見人それ自体の「質」の向上には限界がある。
 最近、認知症高齢者の預貯金の詐取など制度を悪用した成年後見人の不祥事が多々明るみにされているが、これらのなかには子や配偶者などの親族、弁護士などの専門家も多い。そしてこれらの後見人は、おそらく形式上は成年後見人として「十分に適格である」、あるいは「余人を持って代えがたい」ような状況にあったケースも少なくないと推察される。

 だいたい、家族だからといって「愛情に満ちている」とか、専門家だからといって「倫理的に高潔である」とかと無条件に期待できるわけではない。
 そもそも、「個人」に多くを委ねる制度に無理がある。「質」の確保は、「個人」の問題というよりは「仕組み」の問題として取り組むべきである。

 

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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