家族で「死」の話はタブー? 今を有意義に生きるための終活

 人生の終えんを考える「終活」がメディアでもクローズアップされている。
 それに伴い高齢者の不安や悩みなど終活をサポートするための身近な専門家を養成する「終活カウンセラー検定」は数カ月先まで予約が埋まるほど多くの人の関心を集めており、年内には500名のカウンセラーが誕生するという。
 自分の死後、残された遺族のためにと、資産整理や相続、葬儀や遺影の撮影、お墓などについて、事前に書き記しておくエンディングノートは今だ人気が継続しているが、終活の活動は人生を有意義に生きる目的としても重要視されている。

 終活カウンセラー協会理事の武藤頼胡氏は、「終活」を「自分の生き方について考えるきっかけになり「終えん」を見つめ準備することで、『今』をよりよく生きるための活動」と定義しているが、これは的を得ていると思う。
 自分のエンディングに関心を抱くようになったとき、まずは、墓や葬儀、あるいは遺産相続などを念頭に、家族や周囲の人が困ることのないようにきちんと準備をしておく必要がある、という問題関心から「終活」を意識するようになることが多いと思われる。つまり、自分のため、というよりは、まずは家族や周囲の人のための「終活」というわけだ。

 しかし、かりにそのようにして「終活」に取り組み始めたとしても、それは結局のところそれまでの自分の人生の一つの区切りをつけることにつながる。
 そして、「区切りをつける」ということは、必然的に「その次」を生み出す
 そこまでの人生を振り返り、それが自らの理想に照らして満足のいくものであろうがなかろうが、あるいは志を遂げたと言えようが言えまいが、ともかくも区切りをつける。
 そして区切りをつけることによって、気持ち的に「けりをつける」。そのことによって、それまでの諸々の”しがらみ”や”こだわり”から自由になって、新たな気持ちで「次の一歩」を踏み出す。このとき、その先の道のりがどれだけ長く、どれだけ歩くことになるかはまったく関係ないのである。

 したがってけっきょく、「終活」とは、その表現に反して、終わりに向かっての活動、というよりは、次に向かっての活動、になると思う。その意味では、それは極めてポジティブな活動である。また、そのように考えてみると、「終活」とは何も高齢者の人に限って勧められるべきことではない。むしろ、若い人こそ、諸々のことを先延ばしにして漠然と日々過ごしている状態にけりをつけるために「終活」をしてみるべきと言えるかもしれない。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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