NHK「団塊スタイル」より

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自分らしく終わりたい…エンディングノート!:NHK『団塊スタイル』

 法的拘束力のない「エンディングノート」が、なぜ注目されているのか?どんな人が書いているのか?「子供たちに迷惑をかけずに死にたい」と考える団塊の世代の“終活”について、エンディングノートを軸に考える。
 亡くなった方があまり情報を残していかなかったために、たとえば本籍が判らず、死亡届に必要な書類が整わない、葬儀の宗派がわからない、など、遺族が戸惑うことも多いという。また、2007年に家裁に持ち込まれた遺産相続トラブルの相談件数は15万件を超え、10年前の2倍増になる。そのうちの7割以上が、5千万円以下の財産に関するものだ。財産に関しては額に関わらず遺言が必要な時代だ。

 団塊世代の人たちが「エンディング・ノート」に強い関心を寄せる理由に「子供たちに迷惑をかけずに死にたい」ということがあるとすれば、いかにも「自尊心の高い」団塊世代らしい理由だと思う。
 とはいえ、これに関しては、二通りの解釈が可能だと思う。

 一つは、超高齢化社会を迎えた日本の暗黙の”空気”を読んで、それを自らの心の内に”呑み込んだ”結果と考えることができる。
 つまり、これから日本社会は死亡者の絶対数が増え続ける「多死社会」に突入していく。さらに、経済情勢も厳しさを増していくと思われ、「財産相続」がらみのトラブルが多発することが予想される。そうしたトラブルは遺族(家族、親族)にとっては経済的にも心理的にも大きな負担(コスト)である。
 つまり、遺族にとっては、そうした負担(コスト)ができるだけ生じないようにきちんと「死ぬ準備」を整えてから死んでもらいたい、というのが本音であり、そうした”空気”を察知して、いまマスコミなどを通じて盛んに宣伝されている「エンディング・ノート」をつけようと思い立った、という人もじつは多いのではないだろうか。そして、こうした場合の「エンディング・ノート」の主たる目的は、財産項目のリストアップになることが多い。

 しかしながら、これは「エンディング・ノート」をつけるいわば”消極的理由”であり、その背景には核家族化ないしは「家族の個人化」が進んで、親子間がある意味で「他人行儀」(コミュニケーション不足)になっていることが要因としてあると思う。それに加えて、厳しさを増す経済情勢も影響しているだろう。
 それはともかく、このような理由で「エンディング・ノート」をつけようと思い立った場合、自分の死に際して本当に重要なことは何なのか、ということを改めてじっくり考えてもらいたい。すなわち、遺産相続のトラブルを未然に防ぐとかということは、自分の「死」の”重み”に比べてそれほど重要なことなのか。もしかしたら、それは本当は瑣末な問題なのでがないのだろうか。

 もし、エンディング・ノートをつけようという動機の根底に家族間(親子間)のコミュニケーション不足とそれに由来する遺族の将来への不安があるのであれば、本当に重要なのは死ぬ前に今一度「心のつながり」をしっかりとっておく、ということではないだろうか。
 そのように考えると、「エンディング・ノート」をつけるべき”積極的理由”が浮かび上がる。それは、こうした心のつながりをしっかりとるためのコトバを遺す、ということである。そしてそれこそが、「エンディング・ノート」の本質的な役割である、とわたしは考えている。

 〈コトダマの里〉の〈コトダマ〉が、そのようなものとして少しでも役に立つことを願っている次第である。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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