河童橋

河童橋

  彼は最後の力を尽つくし、彼の自叙伝を書いて見ようとした。が、それは彼自身には存外容易に出来なかつた。それは彼の自尊心や懐疑主義や利害の打算の未だに残つてゐる為だつた。彼はかう云ふ彼自身を軽蔑せずにはゐられなかつた。しかし又一面には「誰でも一皮剥むいて見れば同じことだ」とも思はずにはゐられなかつた。

 「詩と真実と」と云ふ本の名前は彼にはあらゆる自叙伝の名前のやうにも考へられ勝ちだつた。のみならず文芸上の作品に必しも誰も動かされないのは彼にははつきりわかつてゐた。彼の作品の訴へるものは彼に近い生涯を送つた彼に近い人々の外にある筈はない。
――かう云ふ気も彼には働いてゐた。彼はその為に手短かに彼の「詩と真実と」を書いて見ることにした。

芥川龍之介『或阿呆の一生』

 少子高齢化が進む日本において、2005年には出生数が約106万人、死亡数が約108万人となり、戦後の一時的な人口減少期を除いて初めて死亡数が出生数を上回りました。つまり、日本はすでに人口減少社会へと突入しているのです。

 このことの政治的、経済的影響は計り知れず、現在日本は国家の存亡に関わる重大かつ喫緊な課題としてあらゆる手立てを講じようとしていることは周知の通りです。

 しかしここでは、この問題をそれらとは別の角度から、いわば「死と生をめぐる文化」の問題として考えてみたと思います。いまここで「死と生」という言い方をしたのは、さしあたり死亡数が出生数を上回ったという事実を踏まえてのことですが、わたしたちの「死と生」をめぐる文化の変化を見越してのことでもあります。

「少産多死社会」における”社会的損失”

 多くの人が死を迎える社会に突入する一方で、「死」に対するわたしたちの社会や文化のあり方は、驚くほど変わっていません。そのあり方は、極端なことをいえば、有史以前と根本的には変わりがない、と言っても過言ではありません。つまり、基本的には宗教的な世界観に支配されています。

 ただし、ここではさしあたり宗教や信仰の問題に踏み込むことはしません。ここでは、もう少し世俗的な問題について考えてみたいと思います。

 すなわち、これからは社会の多くの人が死を迎えていくことの「社会的損失」について考えてみたいと思います。

 いわゆるシニア世代の人びとは、言うまでもなく、それまでの人生のなかで数多くの経験を積み重ねてきました。その経験は各人各様で、その経歴はまさにその人に唯一のものでしょう。とはいえ、その一方で、そこで経験したことの内容は、その人にとってのみ価値のあるものではありません。すなわち、それは他の多くの人にとって、生きていくうえでの教訓や示唆に富んだ大変に価値のあるものです。

 そうした経験には、例えば仕事をしていく過程で獲得してきた専門的な知識やノウハウもあるでしょう。あるいは、日常生活を営む過程で習得した生活の知恵のようなものもあるでしょう。そうした知識・知恵・ノウハウの一部は、他の人びとも一般的に活用できるように何らかの形で体系的に残されているかもしれませんが、おそらくはその全体からするとほんのごく一部にすぎないと思われます。

 こうした知識・知恵・ノウハウが、それをもつ人の死とともに、誰に伝えられることもなく消失してしまうことの社会的損失は計り知れないものがあります。

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『コトダマ新聞』の主筆(代表)です。時流に流されずに死生観をめぐる文化論にまで掘り下げて考察したいと思います。

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