象が死んだ仲間を弔いお葬式をしていると話題

象が死んだ仲間を弔いお葬式をしていると話題

 こちらが死んだ仲間を弔う象です。これが象の世界でのお葬式なのかそれとも彼の意識をただ確認しているだけなのかは定かではありませんが、象が死んだ仲間に枝を被せ葬式のような行為を目撃したケースも多々あるようです。もちろんその行為自体には物議がつきものですが、後ほど紹介する動画では死んだ仲間の骨を名残惜しそうに見つめたり持ったり、非常に寂しそうな象の姿が映し出されております。死体を見つめるその眼差しが実に悲しい。

そして、象が人間と同じぐらい感情豊かな動物であることは知られておりますが、改めて仲間の死を見つめる象の姿を見てしまうと「葬式」と思いたくもなります。

 常識的に考えて、人間以外の動物が観念的な意味での「死」を理解しているとは思えない。ただし、事実としての「死」であればある程度理解できるであろうし(というか、理解せざるをえない)、それに伴う困惑や悲しみなど何らかの「マイナスの感情状態」はあるだろう。

 親や子ども、あるいは仲間が死んで動かなくなれば当然困惑するだろうし、しばらくいろいろ刺激して反応するか確かめたりするだろうが、いずれ死んだことを「理解」して、それを「受け入れる」だろう。
 ただし、可愛がってくれた飼い主が死んだ犬のように、なかなかその死を「理解」できない、あるいは「受け入れる」ことができない、というように見えることもある。その様子をみると、「死」が多くの動物にとって多かれ少なかれ「悲しい」事態であるということは十分推測できる。

 とはいえ、観念的な意味での「死」、すなわち死が生命にとって不可避であり、死が生と表裏一体をなすものであることを人間以外の動物は知るよしもない。したがって、自分にもやがて「死」が訪れることを理解しているわけではない。

 人間の不幸の源は、自分がやがて死ぬということを理解していることにある。ただ、人間の尊厳の源は、自分がやがて死ぬということを受け入れられる、ということにもある。

 そして、自分の死を受け入れた上で、死ぬまでの限られた生をどう有意義に生きるか、を考えてそれを実現しようとするところに人間的な「生」の原動力がある

 このような意味で、「死」という観念は、こうした人間に固有の力の源であると言える。人間の「タマシイ」も、そこから生まれるのである。

 

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