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代表者プロフィール
代表者プロフィール

 コトダマの里は、2012年12月に東京で生まれました。ここで、コトダマの里の誕生の経緯について少しふれさせていただきたいと思います。

 コトダマの里の誕生からさかのぼることおよそ一年ほどまえ、当時わたしは、人生上の大きな挫折に遭遇し、さらに病気と経済的困窮を抱え、いわば人生の道(みち)標(しるべ)を見失ったまま暗闇のなかをあてどなくさまよっているような状況でした。そうしたなか、わたしが心の支えの一つにしていたのが、インターネット上のある無名の人のブログでした。
 その人は四十代半ばの男性で、数年前に勤めていた会社が倒産し、住宅ローンと養わなければならない妻子を抱えたまま失業して途方に暮れていたところに持病の腰痛が悪化、入院して手術を受け、半年ほどリハビリ生活を余儀なくされました。しかしその後も元通りには回復せず、けっきょく再就職は断念し、わずかばかりの資金とツテを頼りにウェブ・デザイン会社を立ち上げ、起業しました。
 ブログの内容は起業したてのときの悪戦苦闘をリアルタイムで伝えるもので、匿名の気安さで起業のリアルな現実を率直に、ありのままに書きつづっていました。毎日のように起こる大小さまざまなトラブルとそれをめぐるドタバタ劇はノンフィクションの読み物のように面白く、喜怒哀楽の感情をストレートに伝える飾り気のない言葉におおいに共感をおぼえました。さらにまた、ブログ主は当時のわたしと同じような境遇で、年齢も近く、おまけに同じ東北出身で、他人事とは思えない親近感と連帯感も感じていました。
 わたしは毎日ブログの更新を楽しみにして、ブログ主からどんなことにもめげずに向き合うガッツと勇気を分け与えてもらっているような気がしていました。そしていつのまにかそのブログは、わたしにとっていわば一つの「心の道標(みちしるべ)」になっていたのです。

 また、そのブログは、人生における苦境や逆境のときに心の道標となりうるのは、必ずしも歴史上の偉人や有名人ばかりでなく、自分と同じような苦境に遭遇し、自分と同じようにそこで悪戦苦闘したごくふつうの人の「生きざま」もそうでありうる、ということを教えてくれました。
 たしかに、歴史上の偉人やある特定の分野で偉業を成し遂げた人の生きざまを心の道標にすることは多いと思います。とはいえ、そうした偉人の生きかたや生きざまはどこか「人並み外れた」ところ、たとえば卓抜した才能であったり、尋常ではない努力であったり、魅力的な人柄であったり、そうした傑出した特質に支えられているものです。それゆえ、どこか「自分とは決定的に違う」ことろがあり、だからこそ目標にはなりえますが、その一方で「共感」や「連帯感」のようなものは持ちづらいところがあります。
 困難や苦労のさなかで苦しみもがいているときに、自分と同じような境遇や条件で、自分と同じように悪戦苦闘している人がいる、と知ることは大いに励みとなります。そしてその人がたとえ能力や人格においてとくに優れているわけでなくても、あるいはむしろダメなところが多かったとしても、その生きかたや生きざまはいわば「等身大の道標」としてよりいっそう身近で現実的なものでありうると思います。

 ところが、わたしが毎日更新を楽しみにしていたそのブログは、ある日突然更新がピタリと止まりました。そして、それまでほぼ毎日のように更新されていたのに、一ヶ月近く何の変化もない状態が続きました。
 直前の記述からは休止を余儀なくされるような重大な出来事や問題が生じた気配は感じられず、病気とか旅行とか長期不在で一時休止をするといった予告もありませんでした。そのブログにはわたし以外にも多くの読者がいたと思うのですが、あいにくそのブログはコメントを受け付けるようにはなっていなかったので、読者の反応や様子もわかりません。けっきょく、まるで一瞬にして世界の時間が止まったかのように現在も最後に更新されたときの状態のままになっています。
 わたしは、楽しみにしていたブログが読めなくなりたいへん残念でしたが、それ以上にたいへん「もったいない」と思いました。というのも、そのブログの内容は、わたしや、わたしのようにたまたまリアルタイムで読者だった人以外にも、もっとはるかに多くの人にとって有益なものであるにちがいないと思ったからです。

 しかしその一方で、インターネットの世界ではこうした出来事は日常茶飯事のように生じているのも事実です。
 インターネットは今世紀に入ってから急速に普及し、デジタル時代の情報インフラとしてわたしたちの日常生活に欠かせないまでになりました。とくに社会的・文化的観点からみて重要なのは、それまで個人の頭のなかにしまい込まれていた体験や経験、あるいはそこから得られた知恵や知識を誰でもが簡単に多くの人に伝える手段と機会を提供したことでしょう。このことは、とりわけ少子高齢化が未曾有なレベルで進行している日本においてきわめて重要な意義をもっていると考えられます。
 日本は二〇〇〇年に死亡数が出生数を上回る人口減少期に突入し、これから本格的な「少産多死社会」を迎えます。その結果として生じる大きな問題は、多くの「人生経験」が次の世代の人びとに伝え残されることなく消え去っていく、ということです。
 有名人や著名人であれば、そうした経験は伝記や自叙伝の形で多くの人に伝えることができます。しかし一般の人は、親から子へ、さらに孫へ、というぐあいに家族のなかで伝えられていくのがふつうでした。ところが、第二次大戦後の日本では、都市化、核家族化、少子化、晩婚化、未婚化といった社会的趨勢のなかで、家族を介してそうした経験を伝えることが難しくなっていきました。しかし、二○十一年の東日本大震災をきっかけに、家族の「絆(きずな)」を見直す気運が高まり、たとえ遠く離れたところに住んでいても家族として体験や経験を共有したいという意識も高まってきました。

 そのようななか、インターネットは個人の経験を伝える新しい情報通信テクノロジーとして急速に発展してきました。ホームページやブログ、あるいはフェイスブックやツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)をつうじて、誰でもが情報の発信者となり自らの体験や経験を世界中の人びとに伝えることができるようになったのです。
 しかしその一方で、情報発信の敷居が低下したぶん、あまり意味のない、内容のない情報も無数に飛び交うようになりました。そして、そうした圧倒的な「雑音(ノイズ)」にかき消されて本当に伝えられるべきメッセージが本当に伝えられるべき相手になかなか届かない、という事態になってしまいました。
 それゆえ、体系的にまとめられ、伝えるべき事柄が十分に取捨選択された”中身の濃い”情報を伝える、または受け取るためには、「(紙の)本」という古くからの手段が依然としてもっとも適している状態です。そのようなわけで、インターネットというせっかくの優れた情報通信テクノロジーがありながら、そのポテンシャルが十分に汲み尽くされないまま「少産多死社会」がどんどん進行していくという深刻な状況にあると思われました。

 そうした問題意識について何人かの仲間と話をし、またこの問題への対処をなんとか一つの「社会事業」として行えないか思案していたとき、ITに詳しい一人が「電子書籍」(ebook)をうまく活用できないか、というアイデアを持ち出しました。
 ご存知のように、電子書籍は本の内容を電子化(デジタル化)してパソコン、スマホ、タブレットなどの端末で紙の本と同じような感覚で読めるようにしたものです。米国ではネット通販大手のアマゾン(Amazon.com)が電子書籍リーダー”Kindle”を発売した2007年以降、新しい本のスタイルとして急速に普及していきました。
 日本では流通機構や著作権制度に独特の慣行があり、当初、電子書籍はあまり普及しないのではないかと言われていました。しかし、二〇一二年に楽天が電子書籍リーダー”kobo touch”を七千円台の低価格で投入し、さらにそれに対抗するようにアマゾンが同年十一月に”Kindle Paperwhite”を発売し、出版業界と書籍市場は一挙に活気づきました。そういうわけで、日本では米国に若干遅れて二〇一二年が「電子書籍元年」と言えるでしょう。そしてスマホやタブレットなどのモバイル端末の急速な普及にも後押しされ、今後デジタル時代の情報伝達の一つのスタンダードになると見込まれています。そしてこの電子書籍がわたしたちの構想にとって格好のツールになりうることがわかり、そこから一挙に事業へと話が進みました。

 こうして二〇一二年十二月、若干三名のスタッフでコトダマの里(株式会社コミュ・アンド・コミュ)を立ち上げました。
 コトダマの里はまだできたばかりのコミュニティですが、古くからのコトダマの文化と新しい情報通信技術で、世代や地域を超えた゛ココロ(タマシイ)のつながり゛を紡ぎ出す場にしていきたいと考えています。
 みなさまのご参加をスタッフ一同ココロからお待ちいたしております。

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