KS001『コトダマ物語&コトダマ・レター選集』は、コトダマの里で作成した『コトダマ物語』および『コトダマ・レター』をテーマごとにピックアップし、編集本としてまとめたものです。
 あわせて、『コトダマ物語』『コトダマ・レター』の趣旨とガイダンスも含まれています。
 『コトダマ物語』『コトダマ・レター』の入門書であると同時に、その”タマシイ”を凝縮した精選集でもあります。
 『選集』に納められた「タマシイの物語」「タマシイのメッセージ」が読者の「タマシイ」に響き、新たな「コトダマ」へとつながっていくきっかけになれば幸いです。
 なお『選集1』は『コトダマ物語』『コトダマ・レター』のサンプル・バージョンの位置づけですので、とくにテーマは設けていません。


コトダマレター『カオちゃんへ』 お父さんはこの手紙を病院のベッドでパソコンを使って書いています。窓からは病院の横にある公園の樹々の鮮やかな紅葉が見えます。これまでいろいろな病院に入院しましたが、この病院はとても静かで時間が穏やかに過ぎていきます。最近は体調が良く何もすることもないので、手紙を書くことにしました。


人生を変えた『芥子の実』の話 わたしの人生でもっとも苦しかった時期は、四十代半ばのときに勤めていた会社が突然倒産して失業し、さらにまさにそのときに大腸ガンが見つかり病院で手術を受けたとき しかし冷静に省みるならば、たしかにそれは不運で不幸な出来事ことではありますが、誰の身にも起こりうることでもあります。ただ当時のわたしは、なぜ自分がこんな目に しかしわたしの苦しみの原因は、本当は起こった出来事そのものではなく、まさにそうした恨みの気持ちで一杯になってしまった心にありました。そのことに気づかせてくれたのは、ある一つの説話でした。


美智子へ 還暦祝いどうもありがとう。
 記念品の写真入り時計は風格があってとても気に入っている。それを見ていて、ふと、一緒になってからこれまでのお礼の手紙を書いてみようと思った。ただ、改まって伝えるのは正直、気恥ずかしいので、手紙にして残しておくとわたしがあの世に行った後にでも読んでもらえるかなと思った。でも、いざ書こうとすると、何を書いたらいいのか分からない。丁寧に書こうとすると、まるで遺言状のようになってしまう。
 結局、今思っていることを、素直にそのまま書くことにした。たんなる独り言のようで全然お礼の言葉になっていないかもしれないが、それは勘弁してもらいたい。


わたしを死の淵から救ってくれた友人の言葉 人生とは不思議なもので、たった一つの言葉によってがらりと変わることがあります。
 わたしたちはふだん何気なく言葉を交わしていますが、そのほとんどは気にとめることもなく忘れ去られていきます。ただそのなかで、何かのきっかけで心を捉え、心に深く突き刺さり、その人の考え方や生き方すら変えてしまう言葉もあります。
 それは一見したところ、ごくありきたりのたわいもない言葉かもしれません。それにもかかわらず、それはその人にとってはまるで神のお告げのように心に響くのです。おそらく言葉の中身だけでなく、言葉と出会うタイミングが重要なのかもしれません。その意味でそれは、やや大げさかもしれませんが、言葉との「運命的な出会い」なのだと思います。
 わたしの人生も、ある言葉との「運命的な出会い」によって大きく変わりました。その言葉はわたしを死の淵ふちから救ってくれたのです。
 わたしは、四十代で脱サラ・起業して会社を設立し、以後十年以上懸命に走り続けましたが、力及ばず会社は倒産してしまいました。この拙文は、わたしの倒産のときの経験についてまとめたものです。


お母さんと悟志へ お父さんは昨年一年間病気でずっと療養していましたが、お母さんと悟志のおかげで回復し、今年の春から新しい職場で、仕事に復帰します。体調もすっかり元通りになり、これから人生の再出発です。
 それまで予想だにしなかった病気になり、人生何が起きるか分からない、ということを痛感しました。一昨年は、東日本大震災で大勢の人が一瞬にして命をなくされました。これからも、世の中どんなことが起きるか分かりません。
 人生の再出発にあたり、お父さんが病気の間に思ったこと、そしてお母さんと悟志にぜひ伝えておいておきたいことを、元気でいる間にきちんと書いておくことにしました。
 ただ、これはお母さんと悟志へのメッセージだけれども、自分自身へのメッセージでもあります。これからどれくらい生きられるか分からないけど、これからもときどき自分が書いたこのメッセージを思い出したいと思います。これを書いたときの決意や気持ちを思い出し、自分自身を励まし、勇気づけることができるかもしれない、と思っています。


自分を知ることから第二の人生は始まる 定年退職は、「第二の人生」のスタートとよく言われます。多くの人は、それまでの会社員人生に一区切りをつけ、趣味、旅行、勉強、ボランティア、その他何であれ、やりたかったけれども、やれなかったことを思う存分やりたいと思うでしょう。わたしも退職前までは、そのように思っていました。ところが、いざ退職してみるとスタート地点から一歩も踏み出せませんでした。環境の急変に適応できず、孤独感と虚無感に苛なまれ、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥り、次第に酒にばかり飲むようになり、しまいにはアルコール依存症になっていました。


人生をつなげる・経験を分かち合う 「ギャンブル依存症」は人生を危機に陥れる深刻な「病気」です。しかし、世間はなかなかギャンブル依存症を病気とは思ってくれません。ギャンブルにはまる原因は本人の意志の弱さ、あるいは性格のだらしなさだと多くの人は思っているのではないでしょうか。それゆえ、本人の意志次第ですぐにでも克服できるはずだ、と考えるか、あるいは反対に、本人の性格の問題なので一生治らないと、考えるのかのいずれかだと思います。じつは、ある意味でこの両方とも当たっています。わたしは、重症のギャンブル依存症でした。もちろん最初のころは自分をギャンブル依存症だとは思っていませんでした。「ギャンブル依存症」という言葉もよく知らなかったのです。


妻と娘へ 贈る言葉 わたしは、今年で六十二歳になります。月並みな言い方だけれど、長いようで短い、あっというまに月日が過ぎ去っていたような気がします。いろいろなことがあったけれど、なにはともあれよくがんばって生きてきたな、今はそんな思いでいます。

 知っての通り、昨年、病院の検査で肺がんが見つかり、予定より早く会社を退職して治療に専念することにしました。わしはこれから、残りの人生をかけてがんとの闘いに臨みます。 武士たるもの、戦に臨むときは常に死を覚悟し、残される者のために遺言状を作っておくのが礼儀でしょう。とはいえ遺言といっても、わたしの家族は佳子と薫子だけで、遺産は小さな家と僅かばかりの貯金しかありません。これについては、言い残すことなどなにもありません。
 ただ、二人には、言い残しておくべき言葉があります。

人生で最も大切な言葉 わたしのこれまでの人生は、ごく平凡な人生でした。小説や映画のような派手なドラマがあるわけではなく、ひたすら地道に人生の道を歩んできました。
 そうした平凡な人生であっても、試練と呼べるようなことはありました。わたしの人生でもっとも苦しかった時期は、四十代前半に勤めていた会社で事業の失敗の責任を問われて地方に左遷されたときでした。そんなときに、わたしは自分の人生観を大きく変えることになった人と出会いました。そしてその人から、自分の気持ちを言葉にして伝えることがいかに大切か、ということを教わりました。