プロフィール コトダマの里

なるほどの! 電子書籍タブレット~Kindle fire HD(HDX)で電子書籍を買う
  • こんにちわ。コトダマの里の“アダルトチルドレン”Takeです。
  • あのさあ、このあいだわしが幹事をしている「アマゾンで極楽浄土に逝こう会」の会合で、この「なるほどの!」シリーズに苦言を呈するメンバーがおってのお……
  • え、またクレームですか?……
  • このシリーズは「電子書籍リーダー/タブレットPCの初心者にその使い方のポイントを分かりやすく解説する」というのがうたい文句ぢゃが、Kindle fire HD(HDX)編の初回にYouTubeの使い方というのはいかがなものか、ということなんぢゃがの……
  • そうですか…… わたしとしては、まさにそこが初心者がつまづきやすいポイントだと思ったのですが……
  • それに、「思わず『なるほどの!』と膝を打つ分かりやすい解説」と宣伝しておきながら、前回の記事で膝を打ったのは「壇蜜と不倫して中国に逃げるかどうかは難しい」というところだけ、とブーブー言っておっての……
  • そうでしたか……
  • かしこまりました。ご指摘は甘んじて受け入れたいと思います。ここは改めて初心に立ち返り、タマシイを入れ替えて読者様にお役に立つ分かりやすい解説をさらに一層心がけたいと思います。
  • お主はタマシイを入れ替えるのはこれで何度目ぢゃよ……
  • 4回目ぐらいですかね……

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KS001『コトダマ物語&コトダマ・レター選集』は、コトダマの里で作成した『コトダマ物語』および『コトダマ・レター』をテーマごとにピックアップし、編集本としてまとめたものです。
 あわせて、『コトダマ物語』『コトダマ・レター』の趣旨とガイダンスも含まれています。
 『コトダマ物語』『コトダマ・レター』の入門書であると同時に、その”タマシイ”を凝縮した精選集でもあります。
 『選集』に納められた「タマシイの物語」「タマシイのメッセージ」が読者の「タマシイ」に響き、新たな「コトダマ」へとつながっていくきっかけになれば幸いです。
 なお『選集1』は『コトダマ物語』『コトダマ・レター』のサンプル・バージョンの位置づけですので、とくにテーマは設けていません。


コトダマレター『カオちゃんへ』 お父さんはこの手紙を病院のベッドでパソコンを使って書いています。窓からは病院の横にある公園の樹々の鮮やかな紅葉が見えます。これまでいろいろな病院に入院しましたが、この病院はとても静かで時間が穏やかに過ぎていきます。最近は体調が良く何もすることもないので、手紙を書くことにしました。


コトダマレター『カオちゃんへ』 今年も、お誕生日プレゼントどうもありがとう。サルのぬいぐるみ、さっそくベッドの脇に飾りました。一見普通のぬいぐるだけど、口が大きくパカッと開いていて、メガネ置きにもなるんだね。便利でかわいくて一石二鳥で重宝しています。ぬいぐるみを見ながら、ふとカオちゃんに最初に会ったときのことを思い出しました。


コトダマレター『幸介へ』 この手紙を読むときは、お母さんはすでにお星さまになっているでしょう。そして空の上から幸介のことを見ているでしょう。空の上からも幸介のことはしっかり見えますが、さすがに声は届かないよね。だから、声の代わりに手紙を届けてもらうことにしました。


コトダマレター『カオちゃんへ』 ティーネージャーの頃、文鳥を飼っていました。名前はピピ。少しだけ胸もとに桜もようのあるサクラ文鳥で、気の強い性格でした。ピピは十二年くらいの生涯を、ずっとわたしの部屋の中で過ごしていました。ピピは十二年もの間、わたしのかけがえのない同居人でした。わたしにとって、ピピは時に、親友であり、恋人であり、兄弟や姉妹であり、師匠であり…… そして今は、わたしの守り神となって、天国から見守ってくれていることでしょう。


人生を変えた『芥子の実』の話 わたしの人生でもっとも苦しかった時期は、四十代半ばのときに勤めていた会社が突然倒産して失業し、さらにまさにそのときに大腸ガンが見つかり病院で手術を受けたとき しかし冷静に省みるならば、たしかにそれは不運で不幸な出来事ことではありますが、誰の身にも起こりうることでもあります。ただ当時のわたしは、なぜ自分がこんな目に しかしわたしの苦しみの原因は、本当は起こった出来事そのものではなく、まさにそうした恨みの気持ちで一杯になってしまった心にありました。そのことに気づかせてくれたのは、ある一つの説話でした。


美智子へ 還暦祝いどうもありがとう。
 記念品の写真入り時計は風格があってとても気に入っている。それを見ていて、ふと、一緒になってからこれまでのお礼の手紙を書いてみようと思った。ただ、改まって伝えるのは正直、気恥ずかしいので、手紙にして残しておくとわたしがあの世に行った後にでも読んでもらえるかなと思った。でも、いざ書こうとすると、何を書いたらいいのか分からない。丁寧に書こうとすると、まるで遺言状のようになってしまう。
 結局、今思っていることを、素直にそのまま書くことにした。たんなる独り言のようで全然お礼の言葉になっていないかもしれないが、それは勘弁してもらいたい。


わたしを死の淵から救ってくれた友人の言葉 人生とは不思議なもので、たった一つの言葉によってがらりと変わることがあります。
 わたしたちはふだん何気なく言葉を交わしていますが、そのほとんどは気にとめることもなく忘れ去られていきます。ただそのなかで、何かのきっかけで心を捉え、心に深く突き刺さり、その人の考え方や生き方すら変えてしまう言葉もあります。
 それは一見したところ、ごくありきたりのたわいもない言葉かもしれません。それにもかかわらず、それはその人にとってはまるで神のお告げのように心に響くのです。おそらく言葉の中身だけでなく、言葉と出会うタイミングが重要なのかもしれません。その意味でそれは、やや大げさかもしれませんが、言葉との「運命的な出会い」なのだと思います。
 わたしの人生も、ある言葉との「運命的な出会い」によって大きく変わりました。その言葉はわたしを死の淵ふちから救ってくれたのです。
 わたしは、四十代で脱サラ・起業して会社を設立し、以後十年以上懸命に走り続けましたが、力及ばず会社は倒産してしまいました。この拙文は、わたしの倒産のときの経験についてまとめたものです。


お母さんと悟志へ お父さんは昨年一年間病気でずっと療養していましたが、お母さんと悟志のおかげで回復し、今年の春から新しい職場で、仕事に復帰します。体調もすっかり元通りになり、これから人生の再出発です。
 それまで予想だにしなかった病気になり、人生何が起きるか分からない、ということを痛感しました。一昨年は、東日本大震災で大勢の人が一瞬にして命をなくされました。これからも、世の中どんなことが起きるか分かりません。
 人生の再出発にあたり、お父さんが病気の間に思ったこと、そしてお母さんと悟志にぜひ伝えておいておきたいことを、元気でいる間にきちんと書いておくことにしました。
 ただ、これはお母さんと悟志へのメッセージだけれども、自分自身へのメッセージでもあります。これからどれくらい生きられるか分からないけど、これからもときどき自分が書いたこのメッセージを思い出したいと思います。これを書いたときの決意や気持ちを思い出し、自分自身を励まし、勇気づけることができるかもしれない、と思っています。


自分を知ることから第二の人生は始まる 定年退職は、「第二の人生」のスタートとよく言われます。多くの人は、それまでの会社員人生に一区切りをつけ、趣味、旅行、勉強、ボランティア、その他何であれ、やりたかったけれども、やれなかったことを思う存分やりたいと思うでしょう。わたしも退職前までは、そのように思っていました。ところが、いざ退職してみるとスタート地点から一歩も踏み出せませんでした。環境の急変に適応できず、孤独感と虚無感に苛なまれ、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥り、次第に酒にばかり飲むようになり、しまいにはアルコール依存症になっていました。


わたしの「熟年離婚ドラマ」 数年前、『熟年離婚』というドラマが放映され、話題を呼びました。仕事一筋だった夫(渡哲也)が定年退職を迎えた日に、長年連れ添ってきた妻(松坂慶子)から突然離婚届を突きつけられる、という話です。「わたしも主婦を卒業したい・・・」。妻は一見何不自由なく幸せな家庭生活を送ってきたかのように見えて、じつは家庭を顧みようとしない夫に対して長年不満を募らせていて、もうこれ以上自分を犠牲にすることは我慢できなかったのです。わたしは、この番組が始まった当初から食い入るようにテレビを見ていました。そして番組が終わったときにはいつも、深いため息をつきました。細かいところで違いはあるものの、根本的なところではわたしたち夫婦にそっくりだったからです。


結婚して苦労を買う 「苦労は買ってでもしろ」とよく言われます。これは、人生のどんな苦労でも後々役に立つ知恵や教訓が必ず含まれている、ということを意味していると思います。わたしは、結婚をして、夫からまさに「苦労を買い」ました。いまから思うと、これはまったく無駄な買い物でした。無駄どころか大損でした。しかし、過ぎたことをいつまでも悔やんでいても仕方がありません。めげないのが、わたしの一番の取り柄ですから。日本人の平均寿命という観点から見ればわたしはすでに人生の折り返し地点に差し掛かっているところですが、わたしとしてはこれからが人生の本番だと考えています。


人生をつなげる・経験を分かち合う 「ギャンブル依存症」は人生を危機に陥れる深刻な「病気」です。しかし、世間はなかなかギャンブル依存症を病気とは思ってくれません。ギャンブルにはまる原因は本人の意志の弱さ、あるいは性格のだらしなさだと多くの人は思っているのではないでしょうか。それゆえ、本人の意志次第ですぐにでも克服できるはずだ、と考えるか、あるいは反対に、本人の性格の問題なので一生治らないと、考えるのかのいずれかだと思います。じつは、ある意味でこの両方とも当たっています。わたしは、重症のギャンブル依存症でした。もちろん最初のころは自分をギャンブル依存症だとは思っていませんでした。「ギャンブル依存症」という言葉もよく知らなかったのです。


お母さん、お父さんへ 一年にわたるガン治療が一段落して、来月、仕事に復帰することになりました。
 手術のときも、その後の治療のときも、お母さんとお父さんがいてくれて、とても心強く、安心でした。
 ほんとうに、ありがとう。
 ほんとうは面と向かってきちんと御礼の言葉を言うべきなのに、あらたまって言うのはなんとなく恥ずかしいので、元気なうちに感謝の気持ちを手紙にしておこうと思いました。


渉くん、将くんへ 金婚式のお祝いわいを、盛大に祝いわってくれてありがとう。
 じいちゃんとばあちゃんは、すごく感激しました。いっぱい飾付けしてくれて、大変だったでしょう。
 お歌も、とっても上手でした。
 お母さんと一緒いっしょに作ってくれたケーキもとてもおいしかったわよ。
 ネコちゃんのおそろいのマグカップはずっと大事にするわね。
 じいちゃんとばあちゃんが結婚して五十年、渉くん、将くんたちに囲まれて、あたたかな金婚式を迎えることができて、とても幸しあわせです。
 ばあちゃんは毎日、渉くん、将くんのおかげでますます忙しく、ますます賑やかに、そして楽しくすごしています。


妻と娘へ 贈る言葉 わたしは、今年で六十二歳になります。月並みな言い方だけれど、長いようで短い、あっというまに月日が過ぎ去っていたような気がします。いろいろなことがあったけれど、なにはともあれよくがんばって生きてきたな、今はそんな思いでいます。

 知っての通り、昨年、病院の検査で肺がんが見つかり、予定より早く会社を退職して治療に専念することにしました。わしはこれから、残りの人生をかけてがんとの闘いに臨みます。 武士たるもの、戦に臨むときは常に死を覚悟し、残される者のために遺言状を作っておくのが礼儀でしょう。とはいえ遺言といっても、わたしの家族は佳子と薫子だけで、遺産は小さな家と僅かばかりの貯金しかありません。これについては、言い残すことなどなにもありません。
 ただ、二人には、言い残しておくべき言葉があります。

人生で最も大切な言葉 わたしのこれまでの人生は、ごく平凡な人生でした。小説や映画のような派手なドラマがあるわけではなく、ひたすら地道に人生の道を歩んできました。
 そうした平凡な人生であっても、試練と呼べるようなことはありました。わたしの人生でもっとも苦しかった時期は、四十代前半に勤めていた会社で事業の失敗の責任を問われて地方に左遷されたときでした。そんなときに、わたしは自分の人生観を大きく変えることになった人と出会いました。そしてその人から、自分の気持ちを言葉にして伝えることがいかに大切か、ということを教わりました。


象が死んだ仲間を弔いお葬式をしていると話題

象が死んだ仲間を弔いお葬式をしていると話題

 こちらが死んだ仲間を弔う象です。これが象の世界でのお葬式なのかそれとも彼の意識をただ確認しているだけなのかは定かではありませんが、象が死んだ仲間に枝を被せ葬式のような行為を目撃したケースも多々あるようです。もちろんその行為自体には物議がつきものですが、後ほど紹介する動画では死んだ仲間の骨を名残惜しそうに見つめたり持ったり、非常に寂しそうな象の姿が映し出されております。死体を見つめるその眼差しが実に悲しい。

そして、象が人間と同じぐらい感情豊かな動物であることは知られておりますが、改めて仲間の死を見つめる象の姿を見てしまうと「葬式」と思いたくもなります。

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“墓トモツアー”御一行さま(出所:MSN産経ニュース)

“墓トモツアー”御一行さま
(出所:MSN産経ニュース)

「墓トモ」って知ってる? 他人同士が墓を通じて縁づくり

 「墓トモ」という新語が、言葉が急速に広がっている。家族や親戚ではない他人同士が、一緒に墓に入ることを前提に新しい人間関係を築くことをいう新語だ。3年ほど前から使われ始め、昨今の終活ブームの中で一挙に広がりを見せている。

 先週創刊された、日本初の終活季刊誌『終活読本 ソナエ』(産経新聞出版)では、「墓トモ」の特集をしている。
 記事によると、墓トモの縁を結ぶ人たちは、「子供がいない」「子供に余計な負担をかけたくない」「夫(妻)と同じお墓に入れない」といった理由で、子孫への承継を前提としない墓を選んでいる点が共通点だ。つまり、自分が墓に入ったあと、供養をしてくれる家族や親族がいない人たちで、少子化、独身世帯の増加を背景に急速に増えている。

 記事では、承継を前提としない樹木葬墓苑を案内するバスツアーに記者が同行。見ず知らずのツアーの参加者らが、だんだん打ち解け、「墓トモ? 確かにそんな感じかもしれませんね」と、親しくなっている様子を紹介している。

 この墓苑に限らず、供養してくれる家族や親族がいない形態の墓(例えば、合葬墓、集合墓など)の契約者たちの間では、同じ趣味を縁にしたサークル、句会、バザーなどの開催がされているところもある。

 墓トモ同士で、催しを楽しみながら、「私が死んだら、先に墓で待っているから、線香あげてね」といった会話が明るく交わされている。

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